http://www.blhrri.org/old/n yumon/post-war60/041.htm |
さらに、私が教師になってから、特に冷戦終了後、「人権」とともに「環境」についての教育が始まったように思う。息子たちの世代では、「環境」を意識することが当然になった。教育というのは、こういう世代的なマクロな時間の流れで、重要な指針を示してきたように思うのだ。
環境問題を論ずるにあたって、この事は極めて重要な、核心的問題である。個々の地球温暖化や砂漠化など、地球規模の環境問題を詳細に教えるのも必要だが、世代を通じて意識改革するだけの必要がある問題である、ということを、はっきり教えるべきだと私は思う。
マレーシアにおいて、開発と環境の問題は、まだまだ二律背反に近い立場にあるのかもしれない。本来は、二律背反ではなく、止揚する関係、すなわち「持続可能な開発」へと弁証法的に発展すべきところだが、この点においては、文字どうりまだまだ「途上」であるのかもしれない。
だが、IBTで日本語を学び、日本留学を志す生徒たちには、こういう「開発」と「環境」の関係性に関する問題意識をしっかりと打ち込んでおきたい。そう思って、汗だくで話をしている。幸い、彼らは優秀で、十分理解してくれているように思う。ありがたいし、嬉しいことである。
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