2010年10月3日日曜日

小学校の運動会を見て思索する

 運動会のシーズンである。今日もH城鍼灸院に行ったのだが、道沿いの小学校で運動会をしていた。あいにく昼から雨脚が強くなり、中止したところも多いみたいである。鍼灸院から出たら下校している小学生の姿を見た。
 ところで、最近の子供と親の関係がおかしいと私は思っている。エディプスの三角形が見事に破壊されている。父親的な「社会規範」を教える立場がどんどんと後退し、母親的な「愛情」のみが強調されているような気がする。たしかに子供はかわいいし、発達心理学的にも3歳までは、かわいがってかわいがって育てるのが正しいそうだ。しかし、それ以後は、父親的な要素が非常に必要である。社会が豊かになったからだろうか?それとも普遍的ななにかがこの国に欠けているからだろうか。可愛がることが”善”となって、見事に社会性のない、甘えたの子供を大量生産している感じがする。

 6月29日付のブログで、アメリカの子育ての根本に、原罪思想があり、子供は悪であり矯正しなければならないという強迫観念があるという論を紹介した。同時に、アメリカでは、小学校では親が子供と深く関わり共に宿題をしたり調べ物をしたりと、日本の教育ママ以上の大活躍なのである。しかし、その後は徐々に突き放していく。自立心を養うのである。授業も自分の意見をまとめ、それをうまく伝えることに何よりも重点が置かれていく。私は、ボストン、オタワ(カナダ)、ミルウォーキー、デトロイトと視察して、そういう教育方法を取っていることを学んだ。
 アメリカやカナダの教育方法の方が良い、と言っているいるわけではない。それぞれいい面もあると思うが、日本の現状は巨大な甘えたの温室栽培に近いようだ。ここに塾という、他者による受動的な勉強法がカンフルされる。

 今、教育界が考えなければならないのは、どういう人材を育てるのかということだ。(理数系の優秀な人材は国益上必須なのは当然であるが、彼らがいくら学力的に優秀でも、人間力が甘えたであれば、大きな仕事ができるだろうか。グローバリゼーションの中、ますます国際競争力で勝負することが必要になる。)私は地球市民を育てることを旨としているが、それは甘えたなどではない。事実を直視し、自分の力で考え、理解し、行動できる人間である。これはなかなか高校教育だけで出来ることではない。教育行政には、小・中・高と、しょうもない雑務や締め付けを排して、教師一人ひとりが考え、余裕をもって生徒・児童に勝負できる環境を考えて欲しいものだ。

2 件のコメント:

  1. 中国の子どもの甘やかされ方も尋常ではなかったですが、それは彼らの文化に「子どもは宝」という考え方があり、さらに「一人っ子政策」が加わり、その上、経済成長による可処分所得の増加という要因がある気がします。

    一方で、日本の場合、こちらの甘やかされ方は異常であります。まず、親が自立しているかというのがかなり怪しいです。例えば父親的な厳しさですが、昔の父親(あくまでイメージですが)は家庭以外にも、仕事仲間、飲み仲間、果ては愛人まで多面的な人間関係があったと思います。それが昨今の父親は一面的になり、子どもに嫌われると自分の居場所がないような状態になっているのではないでしょうか?

    もちろん母親の愛情も必要以上です。それは女性の方が長寿のリスクが高く、最後は子どもに面倒を見てほしいという思いが強くなり、結果として学歴中心の教育ママになってしまうという事情がある気がします。

    私の親はライオンでしたが(思い出してもデタラメな育てられ方)、結果として依存度が高くならなくてよかったですw

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  2. 哲平さん、期待どうりのコメントありがとうございます。そうなんですよねー。父親なんて嫌がられてなんぼのような気がします。なんか勘違いしているような気がします。本校の生徒たちは、比較的お父さんがしっかりとされています。そういう家の子は、やはり安心して見ておれます。もちろんお母さんもしっかり愛されています。今日煙草を吸いに出たら、1年生のお母さんが弁当を忘れてのでと持ってこられてました。愛情のこもったバッグに入った弁当と水筒。あづかりましたが、この生徒は幸せなんだろうなあと思います。これこそ真のエディプスの三角形です。我が家も、私は息子とあまり会話はありません。(笑)母親とは十分あります。でもそれでいいのではと思っています。

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