2010年1月28日木曜日
デモクレイジー
ポール・コリアーの「民主主義がアフリカ経済を殺す」を今日やっと読み終えた。このところ通勤電車で爆睡してしまうことが多かったからだと思うが、この本に若干眠気を喚起する要素があったことも否定できない。
この本は、前作「最底辺の10億人」で述べられた「紛争の罠」「天然資源の罠」「内陸国の罠」「悪いガバナンスの罠」への対応策として、その最後の章に記された「国際的な監視システムや憲章の必要性」を、さらに詳しく、統計資料や事例を駆使してより具体的に述べたものである…と、私は理解した。
ポール・コリアーは最後に3つの提言をしている。1つ目は『国際社会の主要国が共通のコミットメントを通じて、選挙の国際基準に従うことを誓約した政府がもしもクーデターで転覆された場合、必要があれば軍事介入も含め、その政府の復権を請け負う』2つ目は『援助国が統治に対する融資条件として、総合政策と特定の活動への予算配分、実際の活動を分離し、安全に支出できるよう専門家を派遣し、制度設計からかかわること』3つ目は『国際社会による安全保障の供給』である。
その根拠として、最底辺国の選挙の実態から、内戦論、クーデター論、民族国家論、安全保障と近代国家、規模の経済と安全保障の関係、国家主権とその共有の可能性など、丁寧すぎるほどに1つひとつ論を積み重ねて構築されている。最後の最後に、ああなるほど、それであの論が必要だったのか、あの事例はこの提言のベースだな、と解るのである。
この本の中心概念は、『最底辺国は、民族国家としては大きすぎ、国家としては小さすぎる。』という構造的な問題であり、『アカウンタビリティー(責任)の欠如と公共財としての安全保障を欠いている。』という事実である。最後の提言を読み終えて、この中心概念の意味がぱっと開けた、そんな感じの本であった。
謝辞の中に、さらなる続編のヒントが隠されていた。一次産品の高騰と中国の影響…。そう今や中国を抜きにアフリカは語れなくなってきた。今から続編が楽しみである。
さて…この本の内容を、いかに高校生にわかりやすく説明するか、それがこれからの私の仕事である。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
『民主主義がアフリカ経済を殺す』の書評をある雑誌用に書いていたところ、先生のブログにたどり着きました。大変、興味深い試みに感銘を受けました。
返信削除ありがとうございます。光栄です。
返信削除