2010年1月13日水曜日
限りなく雑談に近い授業
今日の1年生の地理Aの授業で、アフリカの農業はプランテーションによるモノカルチャーだというのは幻想であるという話を統計資料をもとに講義していた。「モノカルチャー」という語の確認から、カルチャー・文化・耕す・農業・農業の与える文化的側面という流れで、日本は稲作文化、欧米はカロリーの低い小麦+有畜農業という1学期の復習に話に進み、最終的にもうすぐオーストラリアの姉妹校に交換留学する生徒に、「今、日豪の話題といえば?」と問うことになった。「クジラです。」例のシーシェパードの話である。「彼らはなぜクジラを守るのか?」皆に意見を聞く。私の本職は「倫理」である。つい、こう発展する。稲作文化の日本人にとっては、クジラは主な蛋白源である魚のでかいのにすぎない。反対に牛など仏教の殺生戒に関わってくる。ところが、欧米文化の源である創世記には、神が、「地を這う野の獣」と「家畜」を5日目だったかに、分離して創生したとある。神は、人間に付属する動物を規定して創生しているのである。「家畜」に遠慮はいらない。が、クジラは家畜ではない。神の認めた食料ではないのである。彼らが、キリスト教原理主義者だとは思わないが、少なくともDNAにその神との契約はインプットされているはずである。「オーストラリアで大いに語っておいでや。これも異文化理解やで。」…私の授業は、限りなく雑談に近い。
PS:その授業の後、ある生徒が、「ノルウェイのキリスト教徒のDNAには、創世記が入ってないのでしょうか?」という凄い質問をしてきた。私は「おそらくキリスト教を受容する以前からの食文化だから、そっちが勝っているのだろう。」と答えた。「なるほど…。」こういうやり取りこそが「ホンモノの社会科の学習」であると私は思う。
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