2016年12月31日土曜日

IBTの話(66) 私費生用PP完成

昨日は午後半休をとった。とはいえ、自宅で私費生の国立大受験対策の3回目の講義用のパワーポイントを完成させたのだった。(笑)第1回目の講義は、工学を志す生徒に、世界の問題を知らしむることを主眼として、持続可能な開発目標について語る。第2回目の講義は、その目標が定められた原因を近代国家論とグローバリゼーションから見てみる。第3回の講義は、世界の現状を語ることにした。POST TRUTH をまずキーワードに、イギリスのEU離脱、アメリカ大統領選挙のトランプ氏の勝利を説明し、さらにロシア・中国の動きから「近代の逆走」という現象を明らかにする、という内容である。
アニメーションを駆使して、かなり凝った内容になってしまった。社会科学を久しぶりにやる生徒にとっては、難解かもしれないが、90分3コマという時間的制限の中では、これが誠意一杯というところ。
当然ながら、教材研究のために、だいぶ私自身もいろいろな事を調べた。こういう挑戦的な教材研究、なかなか楽しい。続いて、マレーシアハンドブックを熟読しながら、理系の国費生への教材研究に邁進する。

2016年12月30日金曜日

マレー・ジレンマ (9)

http://afifahfatinah5e.blogspot.my/
現代アジアの肖像14「ラーマンとマハティールーブミプトラの挑戦」(萩原宜之著/岩波書店)では、この後のマレーシアの政治について第二代首相ラザク、第三代首相フセイン、そして第四代首相マハティール、と詳細に述べてある。ラザクもフセインも健康上の理由でそんなに長く勤めたわけではない。ラザク時代は、マハティールを復活させ、ブミプトラ政策を基軸としてマレーシアの近代化をはかるとともに、さらに与党体制(与党連合:BN)を強化した。フセイン時代もその流れを継承し、マハティールに政権をバトンタッチした。故に、本のタイトルにあるように、独立の父・ラーマンと、ブミプトラ政策を打ち出したマハティールが、マレーシア政治史の中では特に重要な存在だといえるわけだ。

この本が書かれたのは1995年。マハティール首相がまだまだ現役の頃である。この後アジア通貨危機が起こり、マレーシアもその波をかぶる。だが、当然、この本には書かれていない。ならば、マハティール首相の理念だけは昨日のエントリーできちっと記したので、この本の書評としてはここまでとするほうが美しいと私は思う。

ラザク首相以来のマレーシアの政治課題は、まさにマハティールの言う「マレー・ジレンマ」をいかに解決しながら近代国民国家化するか、というものであった。華人やインド系、さらにマレー系の内部にあるイスラム主義と向かい合いながら進んできたといっても過言ではない。マハティール以後は、イスラムの色が強くなった感がある。この件は後日、「国家と対峙するイスラーム」の完読後、よく吟味したうえでエントリーしたい。

さて、マハティール首相は、2003年10月に、第5代アブドゥラ首相に譲っている。さらに2009年に現ナジブ政権にバトンタッチされている。この首相交代劇が、なかなか意外性に富んでいたりする。そもそもUMNOを最初にリードした、ダト・オン氏の長男が、第三代首相のフセイン氏である。また第二代ラザク首相の長男が、現ナジブ首相である。政治家の世襲というのは、全世界的なものなんだと思う次第。二世政治家が悪いわけではないが、日本しかり、アメリカしかり、韓国しかり、ミャンマーしかり…。これは、政治という世界の「世襲ジレンマ」というところか、と思う。

…今日は、本年最後の勤務日であった。教材研究のために4月に一度見せていただいたマレーシアハンドブックをもう一度借していただこうと思い、社長室に行ったら2017年度版が配布されていた。マレーシアの日本人商工会議所がJETRO、JICA、日本大使館などの在馬の日本のインテリジェンスと分析力の総力を挙げてつくられた資料である。この正月休み(といっても3日には、出勤だけれど…。)にじっくり読んでみたいと思っている。マレーシア…。実に興味深い国なのだ。

2016年12月29日木曜日

マレー・ジレンマ (8)

「ラーマンとマハティール」(萩原宜之著/岩波書店)の連続書評エントリーの表題とした第4代首相マハティールの著書「マレー・ジレンマ」(The Malay Dilemma)は、1970年刊行されたが、すぐ発禁となった。しかしシンガポールでは読むことができ、多くのマレー人の眼にふれ、マハティールが政権を握ってからは、マレー人必読の書として今日に至っている。ここは極めて重要な個所なので、原本の内容をできるだけに忠実に記しておきたい。

「序文」ではマラヤ大学経済学部長(後の学長)アジズ教授との1966年対談し、マレー人学生の成績が良くない理由は、マレー人の同族婚とその生活環境にあることだと、まず記している。

次に「何が間違っていたか」の章で、5月13日事件に至る歴史を振り返り、まず民族間に寛容と適応と交換はあったが、真の調和はなかったとした上で、日本占領時代にマレー人の一部が親日となり、中国人の多数が抗日となったことで亀裂が始まり、戦後イギリスが復帰し、マラヤ共産党の反英運動が激しくなり、マラヤ連合を収拾しようとして失敗し、マレー人と中国人の関係が悪化したとする。UMNOが結成され、UMNOとMCAの協力により両社の関係は改善されたかに見えたが、60年台に入ると再び、与野党対立の形で再燃し、マレー人は政府が中国人に有利な政策をとって両者の経済格差を拡大させたと考えて不満を増大させ、中国人側は政府に更なる譲歩を求めて対立し、ついに5月13日事件に突入したとする。政府が、民族間の調和を過信し過ぎたとしている。

「マレー人にとっての遺伝と環境」の章では、豊かな自然の中でコメに恵まれ、イスラムを受け入れてきたマレー人の社会に移民として中国人が入り、商業の分野に進出し、マレー人は多くの農民とごく少数の都市で働く役人に分かれた。イギリスは、スズとゴムを中心に経済を発展させ、農村を放置したため、マレー人の多く住む農村の環境は極めて悪いものであった。そしてマレー人の経済的ジレンマは土着のマレー人が主として農業に従事し、移民してきた中国人が商工業を握り、植民地支配者であったイギリスが貿易、海運、金融などを握った結果、豊かなマラヤでマレー人が貧しいというジレンマが起こったとしている。

「民族間の平等」の章では、このジレンマを破って、マレー人を豊かにするにはどうしたらよいか。歴史的につくられた民族間の経済格差を解消するには、マレー人優先の政策をとらざるを得ないとしている。この章の終わりに、マレー人と中国人の対比がされており、①前者(マレー人)は精神活動を重視し、後者(中国人)は物的生活を重視し、②前者は寛容であり、後者は攻撃的であり、③前者はのんびりしており、後者は労働意欲をもっている-としているが、これはマラヤにおけるステレオタイプの相互認識だといる。

「国民統合の基礎」の章では、まず言語とこれに関連した文化について統一した上で、暫時、統合を進めていくとしている。

「マレー人の復権とマレー人のジレンマ」の章では①マレー人の封建的側面を改革し、②イスラムを改革し、③アダット(慣習法)と結びついたと結び付いた伝統的価値観を改善し、④マレー人の都市化、商工業への参入を促進し、⑤中国人のビジネス・スキルや倹約から学び、⑥中国人のビジネスの下でも働く気持ちが必要である、としている。

「マレー人の問題」の章では、マレー人は礼儀正しく、目立たないように振る舞い、貴族趣味なところがあるが、これをイギリス人はマレー人の弱さの表現だと誤解した。このマレー人の性格は、自分および自分の民族のなかにひきこもろることになるとともに、極限においては内面の葛藤と苦しみの外面的爆発としてアモック(狂熱)になることがあるとしている。そして、中国人とインド人は年齢と富に敬意を払っている、とする。彼らは自分たちの労働なしには、マラヤの発展はなかったと考えているが、それは①マレー人が移民に対し寛容であったこと、②彼らの富の蓄積を認めたこと、③イギリスもマラヤの発展に寄与したこと-などを無視してはいけないと警告している。

「マレー人の倫理と価値体系」の章では、マレー人が精霊信仰やアダットや慣習を基礎として、①イスラムとアダットを守り、個人より社会を優先させること、②形式と儀礼を尊重すること、③快楽主義を否定して、イスラムの教えに従って精神生活を送ること、④宿命論をもっており、状況に適応し、来世を信じていること、⑤謙虚で、控えめで、他人に自分の意思を押しつけず、妥協をいとわないこと、⑥何もせず、コーヒーを飲んで話し合うことが習慣になっていること、⑦死をおそれながらも、それに対して闘うこともなく、甘受するが、死への恐怖から一時アモックに陥ること、⑧土地をもつことが富と財産であって、現金や宝石には関心がないこと、⑨地位を重んじ、封建的でヒエラルキーの社会であること-について述べたうえで、これらの価値体系と倫理がマレー社会の発展のための障害になっているとしている。

「コミュナルな政治と政党」の章では、マレーシアの政党は全てコミュナルなベースでつくられ、民族間の問題にどのような政策をとるかで分かれており、当面はマラヤ連合党によって国民統合を進めていくより他にないとしている。

マハティールの「マレー・ジレンマ」は、マレーシアにおける民族問題を歴史的、構造的に分析し、マレー人の劣位の原因をその族内婚と伝統的な価値観と安易な生活態度にあるとして、その自己変革を求めたものである。この民族問題への根本的な問い直しは、民族間の融和とイギリス植民地時代からの民族間の分業体制の延長線上で問題を解決しようとするラーマン体制への批判であり、この分業体制が独立後も続いたために、経済格差は増大し、マレー人に大きな不満が蓄積されたとの指摘である。マハティールの分析は、事態の本質をついたものであり、そこからマレー人の貧困解消と経済構造の変革を目指すブミプトラ政策が日程として上ってくるのである。

…このマハティールのマレーシア社会の構造的な分析、さすがは医師である。この後、彼は結局UMNOに返り咲き、その政治家としての才能を開花させることになるわけだ。

マレー・ジレンマ (7)

http://sakurajadehouse.com
/?p=37649
いよいよ5月13日事件についてエントリーすることになった。ラーマン初代首相は、各民族の融和を第一義に考えた人であったようだが、マーレー語の国語化・英語公用語問題への批判や、左右の勢力である社会主義勢力・汎マラヤイスラム党の批判の中、板挟みとなって苦しんでいた。

そんな中、1969年5月10日連邦下院選挙が行われた。UMNOは59から51議席、MCAは27から13議席、MICは3から2議席となり、与党は計66議席。政権を失うほどの敗北ではなかったが、野党勢力は37議席を取りあたかも勝利したような気分となった。野党がクアラルンプールで「勝利の行進」を行うことが条件付きで認められ、5月13日行進が行われた。この行進の際、マレー人居住区で「マレー人は死んだ。」などと叫んだといわれる。これに対し、UMNO青年部のマレー人青年たちがUMNO勝利の行進を始め、夜に両者が衝突、多数の死傷者(死者196人/華人143人・マレー人127人・インド人13人、その他15人、負傷者は439人)を出す流血の惨事となる。

5月13日事件と呼ばれるこの「人種対立事件」は、ラーマン首相を一睡もさせなかった。非常事態宣言を宣言し、議会を停止、事件の処理に当たる。選挙後の新内閣では、MCAのメンバーが3人も含まれていた。

この内閣に反発したのが、後の第4代首相マハティールである。彼はこの下院議員選挙で、汎マラヤ・イスラム党の候補に負け、落選していた。彼は、ラーマンが民族融和を優先しすぎた故に選挙で敗北したとして、私信の形で辞任を求めた。その後、マハティールはUMNOを除名される。しかし、独立の父ラーマンに確実に世代交代の波が押し寄せていたのだった。それを悟ったラーマンは、自身の出身地ケダ州のスルタンが第五代国王に就任する日を引退の日と決め、この事件の収拾をはかった後、責任を取って、盟友のラザク副首相に首相の座を譲った。

ちなみに、政治活動以外でも、ラーマンは8000人を収容できるナショナル・モスク、私が先日訪れた国立博物館、国会ビルなどをレーク・ガーデンに建設した。日本とも友好的な関係を保ち、クアラルンプール郊外のペタリンジャヤ工業団地に日本の企業進出を推し進め、またケダ州プライに八幡製鉄の協力で製鉄所が建設された。戦時中の日本軍の残虐行為に対する補償として$2500万の交渉をまとめ、2隻の貨物船がマレーシアに無償供与された。この船はその後ペナンからメッカに向かう巡礼船として使われたという。ちなみに、ラーマンは「うなぎ」が好物だったらしい。

この5月13日事件について、白書が発表され、でラーマンは①世代間のギャップと憲法の曲解、②人種主義政党の挑発、③共産党や秘密結社による挑発、④マレー人の不安の4つを挙げた。マハティールは、これに「マレー・ジレンマ」を出版するのである。いよいよ、次回は表題についてのエントリーになる。

今年この1冊2016

スクールホリデーで、今日は1日お休みをいただいた。今年も、恒例の「この1冊」をエントリーしようと思う。今年はおそらく、ここ数年で最も読書量の少ない年になった。最大の理由は、日本を離れたことである。本当に読みたい本は、アマゾンで注文し、日本から持ち帰ることになる。本屋などで偶然の本との出会いが少ない分、どうしても限定されてしまうわけだ。

昨年、アフリカ開発経済学の未読の2冊(「貧困を救うテクノロジー」と「統計はウソをつく」)を2016年候補に棚上げすることにした。ところが、この2冊、11月の帰国時にスーツケースで運ばれ、ようやくわが住処に到着した。故にまだ続きを読んでいない。もう1年棚上げにすることにした。

マレーシアに来て、当然ながらマレーシアの研究に少しずつハマっている。中でもイスラム教理解は、ムスリムの生徒を教える上でも重要である。今年の1冊は、やはり中田考・橋爪大三郎の「クルアーンを読む」(太田出版/昨年12月17日発行)だと思う。ブログでもかなりの回数をエントリーしたが、日本最高のイスラム法学者中田考氏の見識には、いつも乍ら敬服するところである。

面白いなあと思うのは、サラフィー派的な中田氏のスタンスと、マレーシアのイスラム教のスタンスは少しばかり違うことだ。こちらの法学はシャーフィーイー派である。どう違うのが、まだまだ認識不足で、大いに勉強したいと思っている。よって、現在読んでいる途中の「国家と対峙するイスラーム-マレーシアにおけるイスラーム法学の展開-」(塩崎悠輝著/作品社・2016年6月30日発行)もまた、来年度の候補への棚上げせざるを得ないと思っている。この本、かなりの専門書であるが、実に興味深い。

また、はるかに古い本だが、「ラーマンとマハティール」(現代アジアの肖像14 萩原宜之著/岩波書店/1996年)も大いに勉強になった。(書評のエントリーはまだ終わっていないが…。)、さらに、わがIBTにも関わりの深い戦時中の日本留学生だった教育者・ラザク先生の「わが心のヒロシマ」(オスマン・プティ著/勁草書房)も印象深い1冊だった。

ところで、昨年の「今年この1冊」を読み返してみた後、2016年元旦、2日のエントリーも読み返してみて、あっと驚いた。
元旦には、2016年への「POST TRUTH」的な漠然とした不安が記され、それが現実になっている。2日は、ラグビーの帝京大学のハナシが書かれていた。現在勤めているIBTの母体は帝京大学である。思わず、うーん、と唸ってしまったのだった。こういう事もあるんだと思った次第。

2016年12月28日水曜日

IBTの話(65) 1月の私費生用PP

このところ、1日中ずっとパワーポイントとニラメッコしている。(笑)1月に行う理系の私費生国立大学受験者用の教材作りである。3回あるので、パワーポイントも3展開、プリントもそれに合わせて作成中である。今日、やっと2講義目が完成し、3講義目に突入した。

1講義目は、理系の学生が社会科学を学ぶ意義を、ノーベルの”贖罪”から、科学技術の罠の話へと持っていた後で、理系だからこそ現在の世界の問題に目を向けて欲しいと説いて、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」へと進んでいく。これを紹介するのだが、日本の外務省のつくった和訳は極めて難解である。簡単に説明し直してから、マレーシアの現状とSDGsを比較、何が充足していて、何が足りないかという論点で、残った時間に討論をさせたいと思う。先日見た日本語の授業での発表の感じなら、なんとか議論が成立するような気がする。

2講義目は、持続可能な開発目標が作られた理由というか原因を探っていく。まずは人口の増加グラフを見せる。(意外にこういうグラフを元にした小論文試験が多いらしい。)なぜ人口が増加したのか?これは社会科学的にも面白い問題だ。人口支持力がUPしたわけで、様々な角度から論じる。で、結局近現代の歴史は、近代国家の形成の歴史だということになる。その国家が今は密接に自由貿易体制、経済で結びついていることを論じ、グローバリゼーションの説明になる。このグローバリゼーションこそ格差を生んでいる最大の原因であるといえる。最後に持続可能な開発目標にもどり、それぞれのゴールを整理してみる、といった構成である。

今日の画像は、2講義目の最後の方、持続可能な開発目標の整理である。アニメーションをつけてあるので、17のゴールはひとつづつ整理されていくようになっている。莫大な時間と労力がかかったけれど、ちょっと達成感がある。(笑)

2016年12月27日火曜日

漫画 ポーランド・ボール

左からマレーシア、シンガポール、オーストラリア、パプアニューギニア
今週はスクール・ホリデーでなのだが、学校で教材研究をしていた。例の私費の国立大学受験者向けの講義のために、ひたすらパワーポイントをつくっていたのである。私は、パワーポイントについてはひどく凝り性である。高校時代のデザイン科の血がどうしても騒ぐのである。

グローバリゼーションの「周縁化」をイメージするために、円形の国旗を検索していたら、変な画像を見つけてしまった。様々な国の国旗なのだが、どうもイラストというより漫画っぽい。これは、ポーランド・ボールという漫画。なかなか可愛いし、日本語訳がついていて、面白い。つい見入ってしまった次第。

「ポーランド・ボール」というタイトルなので、ポーランドが主人公なのだと思い込んでいたが、以下にに紹介する回は、赤白の国旗君はインドネシアであった。うーん、たしかに調べてみるとポーランドとは、白と赤が逆さまである。(笑)東ティモールとインドネシアの会話から始まり、マレーシアも出てきて、なかなか楽しい展開の漫画になっている。ついつい、お気に入りに入れてしまった。

読者の方も是非一度覗いてみてください。

http://blog.livedoor.jp/pacco303/archives/68253565.html