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この本の中で鄒衍の陰陽五行説とアリストテレスの4性質説が対比され、その共通点が指摘されている。これは、実に面白い。今日の画像は単純な対比だが、本書では表で詳細な対比がされている。
また、孟子の易姓革命論とルソーの社会契約論の対比も面白い。「一般意思」と「天命」の類似性。これも膝を打った。孟子は、こうしてみるとかなり過激な思想の持主で、井田(せいでん)制という一里(400m)四方の土地を9等分し、「井」の真ん中の土地を共有地とし、そこで収穫された米は税とし、他の8つの土地を8家族に分け与える制度を考え出した。著者によれば、「驚くほどに共産主義的」である。これは、唐で採用された均田制に大きな影響を与え、日本に渡って班田収授法、公地公民制へと繋がる。孟子が考えたこの井田制は、孟子没後ほぼ1000年で大宝律令としてよみがえったわけだ。
また支配者の哲学で会った儒家の存在、特に漢では国教扱いになるが、ローマ帝国のストア学派に類似性があるし、老荘の思想は、エピクロスと少々似ているという著者の感覚は私も同感である。
キリスト教がローマで布教を始めた頃の話も実に興味深い。当時のローマ支配階級は、ストア派哲学で、ギリシア神話に繋がる神々に対しては無神論に近かったようだ。一方、ローマの庶民には、2つの新興宗教が人気だった。ペルシャ生まれのミレトス教とエジプト伝来のイシス教である。
ミレトス教は太陽神で冬至に生まれ、夏至に最強となり、当時に死に復活する。冬至はミトレスの誕生日であり盛大に祝っていた。イエスの誕生日を12月25日としたのは、この影響らしいのだ。
またイシス教は、大地母神で我が子を抱き膝にのせていた像が人気だった。イエスを抱く聖母マリア像はこの影響らしい。
キリスト教の布教戦略は成功した。自分たちの信じる宗教の要素を含んでいたことで、ミレトス教徒やイシス教徒を改宗させることに成功したらしい。しかも、当時は寒冷化しており遊牧民の南下等でローマの治安は悪化しており、イエスの言葉を信じれば最後の審判で天国に行けるという教えは民衆の心に響いたとされている。
著者の出口氏の切り込む角度がいい。今までこのような本を見たことがない。
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