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幕府の政治ステムはすでに綻びていたし、身分にとらわれず優秀な人材を抜擢していた雄藩が、それにとって代わるのは当然の帰結だったと思う。しかし長州は多分に尊王攘夷原理主義であったと思うし、薩摩はそもそも琉球との密貿易で儲け、さらに幕府(というか徳川将軍家)の対外貿易独占への反発、野心があった。両藩とも関ヶ原の負け組(薩摩は微妙だが…。)であり、そもそも幕府から見れば外様中の外様、仮想敵である。幕府に正義があるとは思えないが、薩長を始めとする雄藩に正義があるかといえば、これもまた微妙である。孝明天皇もまた「玉」であって絶対的正義とは言い難い。幕末維新時に、絶対的な正義はないと仮定したい。
で、あるとすれば、次に忠義の対象の相対的問題になってくる。
西郷は、島津斉彬公への想いであろう。大久保にはそんなに強い義の対象は見られない。西郷に自分の能力を比しながら上り詰めていったような感覚がある。島津久光に対しても面従腹背である。長州もわかりにくい。平気で藩の金に手を出し長州ファイブはイギリスに渡った。高杉も勝手に軍艦を買ったりしている。そうせい公への忠義という感覚はぶっ飛んでいるようだ。桂小五郎も逃げるのが上手い。討ち死にした松陰門下の筆頭・久坂玄瑞の方がよっぽどわかりやすい。土佐の坂本も中岡も脱藩している。ただ、坂本に関しては、倒幕と言うより、封建的身分制度の打破のために策を練っていた。もちろん個人的野心も旺盛ではあるが、そういう面は、師の勝海舟と同じだ。
正義とは言えないまでも幕府側で義に生きた人物は誰か?私は勝海舟の無血開城時の江戸市民を護るための策(船を用意し、市民の退路を確保しつつ、博徒に火を放たせるといういわば焦土作戦)は大局に立った捨て身の義の兵法だと思う。それを駿府の西郷にたった一人で告げに行った山岡鉄舟もまさに死を覚悟しており、江戸市民のための義そのものである。
だが、最も幕府に義をささげたのは、会津の松平容保であると私は思う。最も孝明天皇に愛され、頼られたた人物。二代将軍秀忠の庶子で、兄・三代将軍家光にも愛された保科正之を祖とする会津松平藩に養子として入った容保は、藩の「我が家には宗家と盛衰存亡を共にすべし」という義に生きた。京都守護職として新選組を使い、特に長州の恨みを買うことになる。徳川慶喜とは意見も合わなかったが、江戸への敗走を共にした。会津戦争で長州の復讐を受けたが、孝明天皇の容保を職務精励を称えた文書を持ちながら竹筒に入れたままで、表に出すこともなかった。したがって、自己保身の醜態を見せることがなかったわけだ。松平容保には私心がない。江戸市民に忠義をささげた海舟・鉄舟以上に、凄味がある。
よって、松平容保が最も義に生きた人物として、好きな人物No1となる。次点は勝海舟と山岡鉄舟かな。
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