https://www.hiroshima-u.ac.jp/ialumni/news/8928 |
何度かエントリーしたが、故ラザク先生は南方特別留学生として、東京空襲と広島での被爆を経験しながらも、帰国後マレーシアで日本語教育に携わった先駆的な教育者である。ご子息もまたマレーシア教育界で重要な地位を占めておられる。我がIBTにも、ラザク先生のお孫さんが先の国費生の卒業式に来られたし、ラザク奨学金というものもある。関わりは極めて深い。
ラザク先生の「わが心のヒロシマ」がもう一度読みたくなって、社長室に借りに行ったら、広島大学が出版した「被爆した南方特別留学生への名誉博士号授与の記録」が、その横に置かれているのを発見した。(両方とも3冊くらい本棚に並んでいた。)実に貴重な記録である。さっそくこれも借りて一読してみた。式典での、ご本人や親族、大学関係者、日本大使館の挨拶なども丁寧に記録されており、しかも関係者の寄稿として、広島大学の校庭でラザク先生たち異国の留学生と一週間野宿し、彼らに励まされたという思い出をお餅の栗原明子さんの文章は、普通のご婦人が書かれたもので、決して上手い文章ではないが、実に胸にせまるものがあった。京都で原爆症が悪化し没したオマール氏(ラザク先生と共にマラヤから派遣されていた。)の様子について書かれたラザク先生の栗原さん宛の葉書も記録として残されている。この葉書の内容は、オマール氏の死を伝えながらも、栗原さんをすこしでも悲しませないように、明るい調子で書かれている。ラザク先生の御人柄を偲ばせるものである。
以前エントリーした兵庫県立大学の宇高先生も寄稿されているし、1997年に発行された南方特別留学生招聘事業の研究(江上芳郎)から、抜粋された被爆の詳細な記録も載っていた。なかなか凄い記録なのであった。
こういう蔵書をもつIBTを、改めて誇らしくと思うのであった。
0 件のコメント:
コメントを投稿