![]() |
| https://www.aab-tv.co.jp/news/aabnews-24092917070079/ |
学園の野球部の方は、残念ながら準決勝で敗退した。とはいえ、強豪ひしめく兵庫県で、ベスト4は素晴らしい。
今夏に悔しい思いをした両校の健闘を改めて寿ぎたいと思う。
ESDとアフリカの開発経済学をライフワークにしている元大阪市立高校教諭のブログです。ケニア、南ア・ジンバブエ、ブルキナファソに足を運びました。58歳で、マレーシアの日本語学校に3年半勤務、その後四国最西端の三崎高校公営塾塾長となり、64歳で大阪に戻り、兵庫県の私立高校の2年間を経て、4月から大阪市の私立高校にお世話になっています。 メールアドレス:bfa.katabiranotsuji@gmail.com
![]() |
https://buhitter.com/searc h?q=%E7%B5%B5%E3%8 2%92%E6%8F%8F%E3%81 %84%E3%81%A6%E3%81%BF% E3%81%9F&offset=2180&order |
先日、自民党総裁選が行われ、石破新総裁が生まれた。まあ、論議が全くできない人気だけのK氏、Wの件で嘘八百をつき推進し、多くの人命を奪ったK氏などが落選したことは良しとしたいが、普通、株式市場では、こういう時株価が上がるのだが、平均で2000円ほど下がったらしい。これは、石破が消費税を増税すると言っていたことが最大の要因だったらしく、この円安の状況下でわざわざ総選挙前に言うことではないだろうと、思う。先行きが思いやられる。
まあ、近々噂される総選挙は負けるだろうと思われる。と、いうより、他の総裁選候補でも極めて厳しいだろうと思う。今回の総裁選を見ていても、自民党の議員の質の低下が甚だしいように思う。派閥をなくすという流れの中で、自己の利益(政治献金やポスト)に汲々として、大局で日本の政治を見ているようには決して思えないのである。これは、小選挙区制のデメリット以外の何物でもないと私は思っている。
たしかに中選挙区制は金がかかり、それが金権政治批判を生んだが、少なくとも議員は派閥の中で勉強し、パラノに段階を踏んでポストを得ていった。それが、派閥がなくなり、党中央の采配で小選挙区の公認が取れるかが再選の鍵となる。よって、専制的な言論統制が常となり、何のために政治家になったのか、勉強しても無駄のような退廃したムードが党内にあるのではないか。そんな感想を持ったのである。
過去の自民党の歴史を振り返ると、総理となるような議員は、派閥の長であり議員団を束ねる力量と人望をそなえ、大蔵(財務)や外務大臣、内閣官房などの主要閣僚を経験していた。また党内で幹事長や政務会長を経験していた。よって、前述の人気だけのKを担いだ議員たちは何をもって推薦したのだろうか、と思ってしまう。
政治不信は良いことではない。だが、そうなる要因は、そこかしこにころがっている。
今回、学院の文化祭でも、いろいろと発見があった。1つ目は、美術部の展示のレベルが高かったこと。実に驚いた。学校長を始め、多くの先生方もこのことをよくご存知で、教えている3年生の意外な生徒が美術展で優秀賞や奨励賞を受けていた。たしかにすばらしい作品群であった。
2つ目は、吹奏楽部のレベルも無茶苦茶高いこと。最初に課題曲が演奏されたが、変調したり、テンポが変わったりとかなりの難曲であった。それを見事に演奏しきっていて驚いた。実に上手い。今秋、福島県で行われる全国大会に出場すると聞いたが、なるほどと思った。
3つ目は、学院というかミッション・スクールでしか見ることができないだろうと思うハンドベル部の演奏が実に良かったこと。音色はもちろん、仕草も美しく、実に上品であった。最初の”風の谷のナウシカ”のテーマ曲で特に素晴らしかった。
4つ目は、軽音楽部の野外ステージ、生徒も頑張っていたが、英数国の3名の先生のバンド「主要三教科」がメチャクチャ上手かったことである。最近の生徒の演る曲は知らない曲ばかりだが、このときばかりはブルーハーツをやってくれたので、実に嬉しかった。(笑)
個人情報保護のこともあり、体育大会に続いて躍動する生徒の画像は出せないので、私の今日の職員室の机上の様子(パンフや模擬店の戦利品などなど…下の方に焼きそばもちょっとだけ写っている。)を置かせてもらうことにした。
![]() |
| https://www.youtube.com/watch?v=EMsQGvesXZw |
衝撃を受けたのは、ヒズボラ構成員に対し位置情報を知られる恐れのあるスマホの使用を禁じて、その代用にポケベルを配布する方針をモサドが探知、そのポケベルになんらかの仕掛けをしていたようで、先日このポケベルが一斉に爆発、大量の死傷者がでたようだ。
これは恐ろしい。電池が爆発したのか、小型の爆弾が仕掛けられていたのか、不明だが、ハンガリーのペーパーカンパニーも台湾のライセンス供給会社の関係も判明しているが、実際の製造元は未だ不明。もちろん、イスラエルの仕業に間違いないが、毎度のことながら何ら声明をだしていない。
イスラエルは知立国家である。ハッキングなどオテノモノであるが、このポケベル戦術は、その一環であることは間違いない。とんでもない時代になった、とため息をつかざるを得ない。
ホートンの哲学は楽天的で普遍主義的だと言われるが、その理由は彼の人種概念が現代的であるからで、多くのこの時代の黒人哲学者が宗教的な立場から対抗したが、医学者である彼は、人種間の生理的・医学的差異が大きな意味を持っていないことを知っており、科学者の人種差別を直接批判の対象とした。1865年の「イギリス領内西アフリカの政治・経済ーいくつかの植民地の必要条件について」1868年の「西アフリカ諸国とその人々」でヨーロッパの一部の人類学者に反論を展開、西洋人優位の人種概念は何の根拠もないことを問題にしたのである。西洋の急速な発展は、完全に外的状況(=歴史的状況)の影響から生じた差異だと主張した。
文明化は、社会を強力にしていく。アフリカがやるべきことは、教育を強化し、キリスト教を布教し、産業を起こして、豊かになることであり、政治政策として促進すべきだと主張、彼自身、実際に金鉱山の開発に携わっている。
イギリス政府に、カナダやオーストラリアのように、西アフリカ植民地に自治を求め、アフリカ人による国家形成を唱えた最初の近代アフリカ政治思想家で、アフリカ民族主義の創始者の一人であり、「アフリカ政治思想の父」と呼ばれている。彼自身は西アフリカの可能性と発展を信じていたが、結局裏切られたのは歴史が示すとおりである。
…19世紀に、このような思想を展開し、また実践活動に勤しんでいたホートンは実に偉大であると私は思う。現リベリアとシオラレオネの実情は、その痕跡すら見いだせない。ある意味、残酷な話である。
![]() |
| https://web.sekaishi sosha.jp/posts/5764 |
彼は、イボ人(現ナイジェリアの民族)の両親のもと1832年デンマーク領西インド諸島のセント・トーマス島生まれ。オランダ改革派教会の牧師となったアメリカ人牧師のもとで神学を学んだ。才能を認められ、アメリカの大学で学ぶことを勧められたが、人種を理由に入学を拒否され、1850年リベリアへ移る。
首都モンロビアのアレキサンダー高校に入学、神学、古典、地理、数学、ヘブライ語を学び、その後1858年にその高校の校長になる。同年長老派の牧師として叙階された。また高校生時代から、リベリア・ヘラルド誌の特派員となり、1855年から56年にかけ、編集長にもなった。1861年、リベリア・カレッジのギリシア語とラテン語の教授となり、1880年から84年まで学長を務めた。
彼は、政治家でもあり、外交官でもあった1860年ごろから後のイギリス首相グラッドストンと文通をするようになり、1862年から64年はリベリアの国務長官に任命され、イギリス領・シオラレオネ内地代理人、駐英リベリア大使、さらに内務省長官に任命された。大統領選挙では敗北したが、その後も駐英・駐仏大使を歴任している。
また、シオラレオネは、植民地ではあったが、イギリスのリベリアと言って良いところで、ここでは1901年から6年にムスリム教育に携わる。アメリカに渡り、黒人教会でアフリカの現状について講演もしている。死去したのは、1912年、シオラレオネの首都・フリータウンであった。
彼は、「汎アフリカ主義の父」と呼ばれ、アフリカ人の独自性を初めて明確に主張した人物の1人で、後世に大きな影響を与えている。人種、黒人としての誇り、故郷であるアフリカへの愛がテーマで、人種差別に反対であり、黒人はアフリカに戻り、アフリカの発展に貢献することで人種差別の苦しみから開放されると信じていた。
したがって、アメリカで公民権を得ることを望んでいた人々からは批判された。同様の理由で、ユダヤ人のシオニズム運動を公に支持している。また、アフリカのキリスト教化は、神の深遠なる計画と信じ、エチオピア主義(18世紀後半から19世紀初頭にイギリス植民地出身のアフリカ人の政治的・宗教的体験から生まれたアフリカとアメリカ大陸を結ぶ思想的運動で、植民地化されなかったエチオピア、エジプト以来の歴史の中で宗教的にも大きな位置を占めたエチオピアを黒人の自治能力の証と見る。旧約聖書の詩篇68、31に、「王子達はエジプトからやってきて、エチオピアはやがて神に手を差し伸べる」とある。)と呼応していた。
彼は、キリスト教を信仰し続け、離れることはなかったが、一方で「キリスト教、イスラム教、黒人種」(1887年)では、イスラム教の意義を認めている。イスラム教のほうがよりアフリカ的であり、イスラム教を実践するほうが充実するだろうという考えを述べている。
…私が、ブライデンの伝記や思想を呼んで、最も感じ入ったのは、その経歴もさることながら、この最後の、イスラム教の意義を、カルヴァン派の牧師が認めているところである。おそらくは、19世紀という時代背景もあるだろう。彼は言う、「キリスト教圏のどこにいても、黒人の主な特徴は、よく言われるように従順さではなく、隷属性である。自立した黒人社会はどこにも存在しない。しかし一方で、自立し、生産的で、独立し、支配的である黒人イスラム教徒のコミュニティと国家が数多くあり、アラビアの容認や講演なしに、政治、文学、教会制度をを支えている。」この言をどう捉えるべきなのか、じっくり考えてみたい。
http://blog.goo.ne.jp/gyp-vision/e/52 415d4f7d36c385343f6a399df601f1 昔々、私がまだ中学生だった頃、春休みを利用して東京の親戚の家に遊びに行ったことがある。当時、私はクラシック音楽に凝っていたのだが、早稲...