2020年9月8日火曜日

ウィグル発ハラル臓器サウジ行

https://polandball.fandom.com/wiki/Xinjiangball
我が家の今日の最大の話題は、ハラル・オーガン(臓器)の話である。妻が見つけたWEB記事を記しておきたい。
https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_41331/

ハラルはマレーシアに3年半もいた我々にとっては身近な語彙である。ムスリムが食しても大丈夫な食品にはハラルマークが貼られている。では、ハラル・オーガン(臓器)とは、何か?「豚肉を食さない人の臓器」という意味らしい。

中国共産党は、ウィグルでナチス以上の人権侵害をしている。ウィグル人から臓器を取り、ウルムチの病院を中心に移植ツアーを行っており、ハラル・オーガン(臓器)をサウジアラビア人などに提供しているらしい。空港には、移植ツアー客用の案内表示があるくらいだという。

…サウジアラビアの法学派はハンバリー学派で、4学派の中でもクルアーンやハディースなどの原典に忠実である。私は、サウジアラビアでハラル・オーガンの移植を認めるファトワ(法学者たちによるウンマの合意文書)が出ているのか疑っている。しかも、異教徒の国・中国で弾圧されているムスリムの仲間であるウィグル人の臓器を金に飽かせて購入するというのは、シャリーアに妥当する行為なのだろうか?神に背く行為ではないのか?

…メッカとメディナを擁するサウジは、ムスリムの、そしてアラブの盟主であると私は考えている。サウジをはじめ湾岸諸国が、中国のウィグル人弾圧を見て見ぬふりをしているのは、トルコ系ムスリムだという以上に、この件があるからだろうか?

…ナチスは、ユダヤ人に人体実験をした(日本の731部隊も人体実験をしたのも事実である。)が、金もうけのために臓器を売ったりはしていない。私は、現中国共産党政府はナチスより酷い人権侵害をしていると思っている。サウジがこの中共の悪行に加担していることに我が家は、大きなショックを受けているのであった。

2020年9月7日月曜日

佐田岬横断ウルトラクイズ

台風一過。明日から授業再開である。さっそく木曜日にみさこうDAYがあるので、私が担当することになった。やれることはたくさんあるのだが、クイズ大会をすることにした。題して「みさこう生 佐田岬横断 ウルトラクイズ」。高校生アメリカ横断クイズのパロディなのだが、すでに時代が違うようだ。J先生によると「ウルトラクイズ…。聞いたことはありますが…。」(笑)

全部ではないが、佐田岬半島や伊方町、三崎高校、未咲輝塾に関係する問題を考えてみた。パワーポイントにそれらをほぼ仕込んである。さてさて、木曜日はどうなりますことやら。すでに賞品のお菓子も買ってある。楽しみにしている次第。

2020年9月5日土曜日

人は石垣人は城/体育祭

昨年10月にこちらに来たので、三崎高校の体育祭は初めてだった。小規模校の体育祭。体育祭の運営には、進行役の下に、招集誘導、審判決勝、用具、音響放送、得点集計などの組織が必要になる。大阪ではこれらの係を固定したメンバーで回していた。ラグビー部で用具係をやったり、審判決勝は陸上部、あるいは体育委員や体育祭実行委員で組織する場合もある。だが、三崎高校ではそんな人数的な余裕はない。各種目ごとにこれらの役係を決め運営していた。これは簡単に見えてかなり難しいと思う。競技への出場者が決定した後、割り振ったと思うが、特に何も知らない1年生に任務を伝えるのは大変だと思う。だが、三崎高校ではそれをやらなければ回らない。実際、それを彼らはやってのけていた。大したもんだと思うと同時に、これが”みさこう生”を作っていくのだと確信した。まさに、人は石垣人は城である。
これまでの大阪の体育祭と違うのは、クラス対抗で、担任を変装させ寸劇を行うという変わった演目があった。なかなか面白かったのだが、三崎高校の担任は大変だ。
応援団の演技は、なかなか迫力もあったし見応えがあった。先日も書いたけれど、私は応援団が大好きである。3年生は責任を果たし、2年生は来年を見つめ、1年生は新鮮な感動を得た体育祭だったと思う。

2020年9月4日金曜日

台風の隙間をぬって体育祭だ。

応援団の演技も見違えるほどうまくなってきた
三崎高校は、明日70周年記念の体育祭である。台風9号が去り、次は超大型の台風10号が接近しているが、その隙間をぬって無事開催できそうである。

昨年は雨の中の体育祭であったことをマレーシアでHPを見て知っている。今年はなんとか晴天とはいかなくとも、曇天で大成功させてやりたいと思う。コロナ禍や様々な障害を乗り越えての70周年記念体育祭である。遅くまで、最後の最後まで準備をしている生徒たちを見ていると、これまでの教師生活をつい振り返ってしまう。20台の商業高校の生徒会顧問の時は、正門の飾りつけのために朝4時に来て欲しいと懇願されたこともあった。(もちろん行った。)30代の工業高校の時は深夜2時まで部隊リハーサルをしていたこともあった。イベントでひたすら人づくりをしてきた。

元気に走り回っている三崎高校の若い先生方を見て、その頃を思いだす。今は、公営塾の塾長といってもあくまでサポート側で、適度に引きながら見ているのだが、本当はもっともっと手伝いたい。だが、それは叶わぬ事である。諦めている。…歳も歳だし。

だが、こうも思うのだ。我が教師生活に悔いなし。その年代、その年代で精一杯やってきた。T商業でも、I工業でも、M高校でも、H高校でも、PBTでも。今、この時も同じ。出来ることを精一杯、悔いのないようにやっていきたいと改めて思っている。

2020年9月3日木曜日

冒涜の自由?

https://www.pinterest.at/pin
/645844402799229347/
フランスのマクロン大統領が、2015年の仏週刊誌シャルリー・エブド本社襲撃事件の公判開始に合わせ、訪問先のレバノンで次のように発言したそうだ。「報道の自由があり、大統領は編集の決定に判断を下さない。」「(会員制交流サイトを例に挙げ)表現の自由には憎悪を唱えないようにする義務もあるが、風刺は憎悪ではない。」と述べた。https://www.sankei.com/world/news/200902/wor2009020013-n1.html

この記事のタイトル「フランスには冒涜する自由がある」ーマクロン大統領、ムハンマド風刺画再掲載でーは、センセーショナルなものになっている。実際、マクロンは「冒涜」とは言っていない。「(表現の自由には憎悪を唱えないようにする義務があるが)風刺は憎悪ではない。」と言っている。風刺とは、批判対象に対して憤り(怒り)が根本動機としてあるのだが、それを抑制して表現するという態度であるという。うーん。「風刺は憎悪ではない」というマクロンの言は、「(この風刺画は)憎悪が根本動機にあるが抑制されているので100%イコールではない。」というのが正しい解釈であろう。言葉の定義からみて、厳密にはおかしい言だと私は思う。

さらに、冒涜とは「崇高なものや神聖なもの、または大切なものを貶める行為・発言」である。これは完全に憎悪100%以上というニュアンスである。したがって、共同通信のこのタイトル「フランスには冒涜する自由がある」は、センセーショナルに書き換えられており、正しい報道とは言えないのではないか。
なにかとマスコミの偏向性が話題になっているが、多くの読者がマクロンの言を誤って捉えてしまうだろう。彼は「風刺」を擁護はしているけれど、そんな言葉を吐いていない。この記事を読んで、マスコミの怖さを改めて感じた次第。

さて、この2005年にデンマークで公開され問題となった風刺画については、ウィキで実際の風刺画を見ることができる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/7/75/Jyllands-Posten-pg3-article-in-Sept-30-2005-edition-of-KulturWeekend-entitled-Muhammeds-ansigt.png

イタリア生活が長かった塾のJ先生に聞くと、フランスはその本場、イタリアでも風刺の土壌があるらしい。これらは、やはりキリスト教世界で、民主主義を血で勝ち取り、表現の自由を崇高な理念としている欧米の風土で生まれたもののようだ。

…マレーシアに3年半住んでいた私は、どうしてムスリムの味方になる。ムハンマドを風刺することは、ムハンマド・ムスリムへの憎悪を根本にしている。たとえ抑制したものであっても、ムスリムからは憎悪の変形としか映らないだろう。そして、それは冒涜以外の何物でもない。このような風刺画を描く必要性があるのだろうか。アジアの多神教の風土に住む日本人にはその必要性がわかりかねる。キリスト教徒の偏狭性を感じてしまうのだ。ブディスト、特に大乗仏教徒は、「平等大慧」という教義を持っている。全ての人は仏界(仏になる根本原因)を内在しているという意味だ。そこに「冒涜」という悪意の概念は生まれない。

2020年9月2日水曜日

GIGAスクール

ある大学の受験対策で、コロナ禍後の教育の変化について調べていると、GIGAスクール構想という語彙がでてきた。文部省のHPを調べてみると、要するに校内LANを整備し、児童生徒一人ひとりに端末を持たせてオンライン授業をする取り組みのことらしい。

先日、伊方町の中学校を回らせていただいた際に分かったのだが、早くも伊方町内の3つの中学校ではこれを実施していた。もちろん全ての授業ではないが、様々な授業で使っているらしい。教室には、全員の端末を充電できるようにもなっていた。

コロナ禍がすぐには解消されない、あるいは再燃する可能性もあるわけで、この端末で自宅でのオンライン授業で使うことも可能だそうだ。様々な問題もあるだろうが、文科省は令和時代のスタンダードな学校はGIGAスクールだと言い切っている。

デジタルデバイドな昭和の人間としては、うーんと唸るしかない。私はPCならまだしも、スマホも自由に扱えない。昨日から重要な電話が2本かかってきたのだが、私のスマホは音信不通で他の講師にかかって私が出るという事件があった。若い講師陣に聞くと、知らないうちに機内モードになっていたのだった。こんな調子だから、私の教師生活もGIGAスクールの興隆とともに消えゆくしかないのかもと思った次第。

…5分に1回笑わせてアナログな授業していた時代が懐かしい。(笑)

2020年9月1日火曜日

社会契約論から見た中共

https://twitter.com/epochtimes_jp
大紀元という中国共産党から弾圧されている法輪功も参加している反中国共産党メディアがあり、そのYouTubeを見る機会が最近多い。数あるYouTubeの中で、「社会契約論から中国共産党を見る」というテーマのものがあった。見事に欧米の論理の押し付けである、とも思うが、社会契約論は、国家論、民主主義論からみれば、欧米がたどり着いた「キリスト教世界の神の設計図」のようなものである。

ロックやルソーの発想で見れば、国民は自らの権利を政府に預ける代わりに、政府の保護をうけるという契約を結んでいるというのが基本概念だ。たしかに、中国共産党政府は、国民から税を取れるだけ取っているが、国民を保護していない。一帯一路やプロパガンダのために湯水のように金を使っているが、大洪水や蝗害(こうがい:バッタの被害)に対する支援は行われていないし、コロナ禍への支援(我々は10万円もらったが…。)も聞いたことがない。それだけでなく、政府高官は、汚職や物資の横流しや公金横領で莫大な資産を蓄財している。すでに、この事実は国民に完全にバレている。中国の人々の多くが社会契約論を知っているかは定かではないが、欧米(日本も含めて)の常識から見て、異常に映るのは当然である。

私は、こういう非アジア的な論理でアジア社会を断罪するのはどうか、と思うが、中国共産党の紅軍が大長征の時に、「人民から針一本取らない」軍隊であり、蒋介石の国民党軍が野党の如きであり、しかも国共内戦を見込んで当時日本軍との戦いを避けてばかりだったので人民の支持を失ってしまい、結局台湾に紫禁城の財宝を持って逃げたことを思うと、少なくとも1949年の段階では、社会契約は成立(=中国共産党への信頼と支持)していたと思うのである。ただ、何度かエントリーしたが、周恩来亡き後は、中国共産党は正義を完全に喪失している。国民党軍以上の野党でしかないと思うのだ。

…あの「針一本取らないという紅軍の誇り」は何処へいったのだろうか。