2026年5月22日金曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅲ

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00915/contents/0003.htm
吉村昭 の『海の祭礼』の書評第3回目。 本書の主人公はマクドナルド氏ではなく、森山栄之助という長崎の通詞であるような気がするが、もっと大きな鎖国から開国への流れが真の主人公のようである。

私は幕末維新史には、それなりの見識があると思っていたのだが、この鎖国から開国への流れ、特にペリー来航時の幕府のやり取りを本書で詳しく知ることが出来た。ペリーの強行姿勢は言わずもがななのだが、ペリーは、琉球や小笠原諸島へも触手を伸ばしていたこともわかった。この時点で、WWⅡ後の施政化政策の布石があったのである。当時は捕鯨のためであったが、アメリカの対日本外交の連続性に驚く。

琉球については、ペリーは日本側が捕鯨船の入れる良港を拒否した場合、一歩退いて琉球を占領すべきと考えていた。薩摩藩の圧政から解放すると約束すれば保護下における、また琉球を根拠地として日本との交渉を行えば、日本は屈服すると考えたのである。実際、那覇港に入り、琉球の執政が歓迎の辞を述べたので、中国語の通訳を伴い王宮で答礼した。アメリカは、琉球と友好関係をもつことを望むと告げた。

さらに、艦隊は小笠原諸島に向かった。父島の二見港に入った。小笠原は日本人が発見し開拓したがその後放棄した歴史があり、5人の白人(ペリー来航時は、マサチューセッツ生のセイヴォリのみが残っていた。)がハワイの住人を連れて移住していた。アメリカ海軍の貯炭所用地として二見港に面した165エーカーの土地を買収し、セイヴォリを管理人に任じている。

そして、この後日本に向かうのであるが、長崎ではなく江戸湾を目指す。長崎と江戸は遠い。日本政府の返答が当然遅れる。ペリーはそれを嫌ったのである。

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