2026年4月29日水曜日

ヨハネ福音書のイエスⅢ

https://ameblo.jp/mitosya/entry-12536035811.html
『ヨハネ福音書のイエス』(小林稔著/岩波書店)の書評を続けたい。昨日のエントリーで、ヨハネ福音書(画像参照)が、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカの福音書と大きく異なる点を挙げた。それは、イエスの成長の歴史、伝記的なところがないということである。なぜなら、ヨハネ福音書は、イエスが「キリストであり、復活した神の子であるという前提」が共観福音書に比べ、極めて明確だからである。

さて、ヨハネ福音書では、何と言っても「最初に言葉(ロゴス)ありき」という冒頭が有名である。この箇所は様々な論議の的になってきた。エイレナイオスら2世紀の教父たちは、受肉以前のロゴスが天地創造に参与し、旧約の歴史の中に働いたことを述べているとし、後の教会の伝統はこれを継承している。当時すでに流布していた『ロゴス讃歌』やユダヤ教の『知恵文学』を原資料としているといわれている。

ロゴス讃歌は、キリスト教の影響を受ける前のグノーシス主義(物質を悪とし、魂の救済を重視する神秘的思想。後に異端とされた。)に由来するとされ、この可能性は否定できないが確定も出来ないというのが聖書学の定説らしい。それに対し、知恵文学は、女性的神格(ホクマー:知恵・ソフィア)を律法と同一視し、律法は世界創造以前から存在し、宇宙は律法に従って秩序付けられたという一種の精神原理として捉えたのだが、キリスト者たちは、イエスをロゴスとして対置させたと推定するのが聖書学の立場らしい。

多くのヨハネ福音書の注解では、序文の解釈が原資料のロゴス讃歌の説明で終わっていることに、著者は不満を述べている。福音書の著者は、この讃歌をただ引用しただけではなく、それに自ら数行を書き加えて序文としているからで、前述のイエス=ロゴスの対置をより強く結びつけているといえる。著者は、この序文の部分の構造をさらに詳細に分析する。…続く。

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