2012年8月15日水曜日

甲子園 秋田商の勝利を祝す

さきほど、甲子園から自宅に戻ってきた。秋田商業高校、堂々の勝利だった。本校の野球部が勝ったように嬉しいのである。選手諸君、O監督、そして関係者の皆様、本当におめでとうございます。

初回2点を失った時は、一瞬どうなるかと心配したのである。8月3日に大阪に来て以来、すっと試合を待ちわびていたので、気持ちの上で相手に負けているのではと思ったのだ。だが、その裏にすぐ大逆転。これは、アルプス席の応援団の力も大きいのではないか、外野席から見ていてそう思ったのだった。応援団の数では、相手方が上だが、そのパワーは凄かった。応援団も真っ赤になって燃えに燃えていた。最上段で校旗をもつ姿も凛々しい。

朝、少しばかり遅く家を出た。ふと携帯電話を忘れているコトに気付いた。せっかく3日から秋田商業野球部の引率をされているO先生(監督もO先生なので、イニシャル表示にするとややこしい。笑)の携帯番号を教えていただいたのに、これでは連絡が取れない。お盆だし、車内はすいているとふんで、さらに遅れるのを覚悟で妻に持ってきてもらったのだった。(感謝)久しぶりに学校にいくと、我がクラスは私の不在中も文化祭の準備を進めていたようで、段ボールはさらに増え、各材も何本か切ってあった。やるなあ。自主的で非常に嬉しい。ちょっとウルウルきたぞ。で、甲子園へ「7時間休」を取って向かったのだった。

甲子園は、内野席が全て満員ということで、どうしようかと思ったが、とりあえずO先生に連絡した。1年半ぶりの再会。もう、甲子園に来てくれただけで嬉しい。心の中でウルウルしてしまった。先生の後方には、赤いキャップの秋田商業の生徒たち。聞くと、新潟で、そして福井で列車が停まったままだったりして、24時間もかかったんだそうだ。疲れているだろうに、アルプスの入り口前で座ってお弁当を食べていた。お忙しいだろうし、話したいことはいっぱいあったけど、再会を約束して外野席にとりあえず向かった。同業者として、そのへんの事情は熟知している。外野席は無料開放なので、なんとか試合観戦は可能だ。できればアルプス席に行きたい。前の試合が終わった後、チケット売り場まで行ってみたが、やはり完売らしい。仕方なく外野席に戻って応援していたというわけだ。

いやあ、すばらしい熱戦だった。4回まで毎回得点。ホームランも飛び出して狂喜した。手堅くスクイズも決めた。守備もよく鍛えられていた。東北のチームらしいねばりがある。さすが古豪と称される秋田商だ。外野席は、高校野球が好きで見に来ているという家族づれや少年野球のチームとかが多く、どちらを応援するというのでもない雰囲気で、秋田商を熱く応援している私はちょっと浮いていた。うーん、次は是非ともアルプスで応援したい。同じような想いを抱いている人を見つけた。長いこと気付かなかったが、近くの外野席で、「なまはげ」も応援していたのだった。(笑)

2012年8月14日火曜日

ガリラヤ湖畔を旅するⅢ

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その20
ドルーズ派の聖地
イスラエルには、変わった少数の宗派がいる。その代表格がイスラムのようでイスラムではないドルーズ派である。輪廻転生を信じる彼らは隣接するヨルダン、シリア、レバノンなどに100万人ほどいるらしい。彼らは人種的にはアラブなのだが、イスラエル軍の兵役を嫌がらない。それどころか勇名をはせているのだ。イスラエルはまさに超多文化共生国家なのである。そのドルーズ派の聖地に行こうということになった。ナビー・シュアイブという所である。ティベリアの西の山の中にある。ここは聖地であって観光地ではないのだが、タクシーの運転手が善きユダヤ人で、なんとか警護の人を説得し、突破してくれた。
しかし礼拝者がいるそうで、聖堂の中には入れなかった。息子も2度目だそうだが、前回も入れなかったという。そう簡単には入れてくれない所らしい。で、結局外から眺めるだけだった。うーん、残念。ただわかったのは、信者の女性たちは、白く長いヒシャブが特徴だということぐらい。
さて、ここからはそのまま善きユダヤ人の運転でナザレに向かった。イエスの出身地とされる場所である。生まれたのはベツレヘムだが、ナザレから避難してきたのだ。もちろんキリスト教の聖地中の聖地である。ナビー・シュアイブから見れば南西にある。
ナザレには受胎告知教会がある。マリアがイエスの受胎を大天使ガブリエルより告知された洞窟の上にあるという。妻は、例によってキリスト教の教会については「お腹いっぱーい。」ということで、速足で見学することになった。スークは、Tさんと2人で見に行くことになった既に行った事のある息子は「いろんな国のイエスを抱いたマリアの絵があるから、それだけ見て笑っておいで。」とクリスチャンが聞いたら激怒するようなセリフを吐いていた。たしかに教会の回廊や礼拝堂にそれらはあった。なかなかお国柄が出ていて面白い。特に韓国と日本のは、おいおいというくらいお国柄が出すぎていて面白い。
このところ外交関係でもめているのであえて仲良く並べて見ていただきたい。

ガリラヤ湖畔を旅するⅡ

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その19
ガリラヤ湖
ティベリアの街に一度戻り、今度は南のキブツを目指す。キブツというのは、イスラエル建国以前から、平等、機会均等、集団責任、集団的自力労働の4つの原則を掲げた共同体である。このガリラヤ湖畔の南方がキブツ発祥の地なのである。と、言っても息子が案内したのは、最初のキブツではなく、ヨルダン川沿いにあり、世界中のキリスト教徒が、カトリックも、オーソドックスも、プロテスタントも関係なく訪れイエスにならって洗礼できる設備を備えたヤルデニット・キブツだった。「イスラエルのガンジス河みたいなもんやな。」とは息子の言である。洗礼希望者は白い装束を身につけるのを義務付けられているようだ。
ヤルデニット・キブツ ヨルダン川で洗礼する巡礼団
夕方に到着した我々が見たのは、持っていた国旗からコロンビアのカトリックの巡礼団だった。小学生くらいの女の子が洗礼を受けるようで、神父の指示で洗礼を受け、その後巡礼団が順番にヨルダン川に入っていった。うーん。なるほど。確かに日本では見れない光景だった。息子夫婦は、ヨルダン川に自生するビーバーを探しに行った。息子はあまりキリスト教には興味がないらしい。(笑)じーっと見ている私に、妻が「お腹いっぱーい。」妻もキリスト教には興味がないらしい。キブツも見学した。ナツメヤシの畑、牛舎、工場。中には小学校や映画館もあるらしい。
ガリラヤ湖の朝 十字軍時代の城壁とギリシア正教の修道院
夕食はティベリアの夜店広場といったところで魚料理を食べた。この三泊四日の北イスラエル小旅行では、息子夫婦のリクエストでやたら魚料理を食することになる。(笑)夜店はなかなか楽しい。いろんな店が出ていて、アトラクションもあったりする。やはりティベリアは「熱海」である。朝、一人で散歩に出てみると、十字軍の時代の城壁やギリシア正教の修道院があって、ガリラヤ湖畔もなかなか趣がある。

ガリラヤ湖畔を旅するⅠ

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その18
エレサレムからパレスチナ自治区との境ぞいに北に3時間ほどバスに乗ると、ティベリアというガリラヤ湖畔の都市に出る。息子に言わせれば「イスラエルの熱海」らしい。近くに温泉もあり中心街の道の両側に拡がるアーケードなどの感じや丘に広がる感じなど、言い当てて妙である。イスラエル旅の後半は、家族4人の3泊4日の北部イスラエルへの旅である。ホテルに旅装を解いた後、我々はツファットという小さな街へ向かった。路線バスで1時間程度である。乾燥した山々をぐんぐん登っていく。ツファットは、息子のイチオシの街で、超正統派の街であり、カバラの総本山であり、芸術家の街でもある。
たしかに超正統派だらけである。ただエレサレムの超正統派とは少し感じが違う。おだやかなのだ。死海バス事件以来、妻は超正統派に悪印象を持っている。(8月13日付ブログ/エレサレム近郊へ行くⅠ参照)ところが鋭い感性を持つ彼女は、その辺を指摘した。息子も、小さなシナゴーグから出てきたばかりの超正統派女性に、英語で言うところの「May I help you?」をヘブライ語で言われたらしい。普通、シナゴーグから出てきたばかりというのは超正統派はこちらから声をかけても口をきかないものらしい。「奇跡に近い出来事である。」と言っていた。明らかにエレサレムの超正統派とは違うのだ。息子は「近くに軽い食事ができるところはないですか。」と、ヘブライ語かイディッシュ語(超正統派はヘブライ語を聖書の聖なる言語と考えていて宗教行事のみに使い、日常会話はドイツ語の交じったイディッシュ語を使う。)で聞いたらしい。おかげで、近道を教えてもらったのだった。
カバラのギャラリー
ピザ屋さんなのに、手を洗うところがあり例の二つの取っ手のコップが置いてある。おお。さすが超正統派の街。(きっと探せばエレサレムのレストランにもあったと思うが。)
このツファットの街は、旧市街っぽくて、ものすごく絵になる街である。NHKの『世界ふれあい街歩き』の世界である。あちこちに小さなシナゴーグやギャラリーがある。カバラのギャラリーも見つけた。中ではチベット仏教のマンダラのようなものを描いていた。大家さんも勉強しているというカバラとは、ユダヤ教の神秘主義思想のことである。『イスラエル人とは何か?』によると、ここはユダヤ教の四大聖地のひとつで春には、ラグ・バオメルという祭りがあり、カバラの中心的な書物の著者とされるラビ・シモンの墓に一万人以上のユダヤ教徒が集まるらしい。ミズラヒムの人々が多いらしいが、アシュケナジの超正統派を始め様々な宗派の善男善女が集まり、ユダヤ人のウッドストックみたいになるらしい。なるほど。
息子は一度来たことがあるらしく、アート街や青い街と呼ばれる界隈を案内してくれた。ホントいい街である。かなり気に行ったぞ。
広場で一休みしていたら、こんなところにも一見してアラブ人と思われる2人組がいた。彼らの仕事は狭い道しかない広場のゴミBOXから、清掃車が入れる道まで坂を昇降してゴミを運ぶことらしい。「キツイ仕事やなあ。」と私が感慨にふせっていたら、横に座っていた妻が口の中に入れていたアイスコーヒーをプファーッと吹き出した。「何してんねん。」と怒ると、妻は笑い転げている。超正統派の子供が、変なおもちゃの眼鏡をかけて近寄ってきたのを見て、思わず笑ってしまったらしい。おかげで私はえらい目にあったが、おだやかな超正統派に加えてお茶目な超正統派の子供までいるのが、この街の最大の魅力かもしれない。

イスラエル考現学 שבת

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その17
安息日の新市街 誰もいない
安息日は、ヘブライ語でシャバットという。金曜日の夕方から土曜日の夕方である。(ちなみにイスラム教はその前日、キリスト教はその翌日である。)街の店がほとんど閉まり、公営交通機関もストップする。動くのはアラブ人運転手のタクシーくらいになる。さて今回は、大家さん一家にその安息日の夕食に招かれていた。残念ながら、安息日は特に神聖なものなので、写真撮影やメモをとることは失礼にあたると言う事で、このエントリーは一切を私の心細い記憶と直後に書いたメモに頼っている。
大家さんはイラン系で、出身から見るとミズラヒム(8月10日付ブログ/「家庭内別居?イスラエルの現実」参照)にあたる。正統派なのか保守派なのかわからないが、安息日の始まりの礼拝をシナゴーグで済ませてから食事会となったので開始が8:00くらいになった。熱心なユダヤ教徒である。ちなみに、奥さんはグルジア系。信仰に関しては夫ほど熱心ではないが、常に大家さんを立てているので、言われた通りしているようだ。グルジアのユダヤ教は、イランのユダヤ教と微妙に違うらしいが同じミズラヒム系なので似ているらしい。この日はちょうど、2~3年前にイスラエルに移住してきたという奥さんのお父さんとお母さんも来られていた。お父さんはグルジアの逓信省のトップだった方で威厳がある。但し、グルジア語とロシア語しかしゃべれない。私たち夫婦(日本語とリトル英語使用可)だけでなく、息子(日本語・ヘブライ語・英語・アラビア語・イディッシュ語その他使用可)、嫁にあたるTさん(日本語・英語使用可)とも直接コミュニケーションはできない。ちなみに、大家さんはヘブライ語と英語、奥さんはヘブライ語とグルジア語がしゃべれる。つまり、私が奥さんのお父さんとしゃべるには、日本語で息子に伝え、息子がそれをヘブライ語で奥さんに伝え、奥さんがグルジア語で伝える必要があるという凄い言語空間であったわけだ。(笑)

大家さん宅入口 右側に息子夫婦が住んでいる
シャバットの儀式は、大家さんの祈りから始まった。息子夫婦は勉強用のシャバット用の小冊子を持っていて、それを目で追う。大家さんは詳細に英語で説明してくれた。食事を作ってくれた女性への感謝の祈りらしい。歌があって、次に友人を交えて食事できることへの感謝の祈り。ここまでで20分近くかかった。次にワイン(赤)を大家さんが飲み、右側の奥さんのご両親、私へと順に回していく。ここで、取っ手が2つついたコップが登場する。洗面に移動し、祈りの言葉を唱えながら、手を洗うのである。右手から2回、左手を2回、もう一度右手を1回、左手を1回。(これはシャバットの手の洗い方で、朝の洗い方は右から1回、左1回を3度繰り返すらしい。)そしていよいよ食事開始。大家さんが祈りを捧げて、白いシャバット用の布をかけたパンを取りちぎりだす。これを皆にわけて、さあ食事開始である。ここまでで、我々への英語による説明もあったので1時間弱かかった。奥さんのお母さんなど、完全に辟易としていた。(笑)

グルジアでも長らく社会主義政権が続いていた関係で、ロシア移民同様ユダヤ人としての宗教生活は制限されていたので、こういう儀式的なことには意義を見いだせないのだろう。時折、露骨に嫌な顔をされる。それを気にしつつも無視して大家さんは儀式を進めていた。(笑)

奥さんの作ってくれたグルジア料理はなかなか美味であった。様々な話題が出て面白かったが、前述のように、凄い言語空間である。隣に座っていた奥さんのお父さんとは「柔道」と「札幌」の話を日本語-ヘブライ語-グルジア語の連携プレイで少しだけ出来ただけであった。言葉が通じない食事会は苦しい。お父さんは居眠りをしだしたし、お母さんは子供達を世話をするといって引っこんでしまった。この辺もユダヤ教の多文化性を強く感じた次第。結局1時半くらいまで話し込んで、最後の祈りをしてお開きとなったのだった。
安息日の超正統派の街メア・シェアリーム 車の侵入をシャットアウトしている(タクシーより)
もしこれがアシュケナジやスファラディだったらまた少し違うのかもしれない。そうそう、このエントリーで最後に触れておかねばならないことがある。1つは、大家さんはカバラを学んでいるので、カバラの要素を入れていると言っていたこと。もう1つは、私の『地球市民の記憶』にグルジアが増えたことである。お別れの時、お父さんに「スパシーポ、ダスビダーニア(有難う、さようなら)。」と下手なロシア語で言ったら、満面の笑顔を返してくれた。(笑)

イスラエル考現学 CAT

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その16
チューチュー
エレサレムの紀行文をいろいろと書いてきた。ここで、ちょっとイスラエル考現学を再開しておきたい。聖地エレサレムは、実に猫が多い街なのである。その多くは野良猫である。
息子の住む家にも、嫁のTさんが餌をやっていることもあって、毎朝猫がやってくる。窓をトントンと叩いてニャーと鳴き、餌を催促する。息子夫婦は「よしニャン」という名前を付けている。ほんと良くなついている。我々がエレサレム中心街へ向かう際は、自分のテリトリーのぎりぎりまでついてくる。犬のような猫で、可愛いことこの上ない。我々夫婦は勝手に「チューチュー」(昔の米国アニメの『どら猫大将』に登場する猫の名前だ。もし猫を飼うなら、我が家では、この名前と決めている。)と呼んで可愛がっていた。右の画像は我々が滞在していたおばさんの玄関にまで来るようになったチューチューである。

新市街にて
聖地エレサレムには猫が多い。聖墳墓教会の入口にも、糞門にも、旧市街のユダヤ人街にも、新市街の街頭にも、とにかく猫がいる。猫好きの我々は、猫を見つけると観光そっちのけで猫に声をかける。(笑)何故こんなに猫が多いのだろう。ホント不思議なくらい猫がいる。少しWEBで調べてみたら、猫のDNAを科学的研究した結果、中東が猫の原産地だという論文があるのである。ちゃんとした科学雑誌に載った論文らしい。なるほど。何となく納得するのだが、まあゴミの中にに餌が多いというのが本当のトコロだろう。

近所のゴミBOX
一方、ゴミといえば、聖地エレサレムには蠅が多い。野外でのカフェやレストランは素敵だが、この蠅の多さには閉口する。私はアフリカでは蠅がたかっても全く気にならないのだが、先進国然としたイスラエルで蠅が多いのは意外だった。だから余計気になるのかもしれない。これには、それなりの推測が可能である。エレサレムは実は下水道インフラに難があり、トイレは水洗なのだが、カミを流さないのだ。聖地だからカミを流さないのか?というのは冗談だが、よく詰まるらしい。で、ビニール袋に集めて地域のゴミBOXに投棄する。ここには生ごみも同様に投棄されるので、蠅が発生するのではないかと思うのだ。

この近所のゴミBOX、私も何回もゴミを入れたのだが、ビックリしたことがある。ポイと投げ入れた途端、猫が飛び出してきたのだ。全くの想定外。もちろんチューチューではない他の野良猫だったのだが、お互いびっくりしたのだった。聖地エレサレムにはゴミBOXにも、カミと猫がいる。

祝なぎなた部 IH団体・個人優勝

共同通信より借用しました
大阪は未明から、凄い集中豪雨と雷で、交通機関がぐちゃぐちゃになっている。というわけで、今日の秋田商業高校の甲子園は順延になってしまった。かなり選手諸君も監督のO先生もも、じれているのではないかと心配している。また長期の大阪滞在も大きなストレスになっていないかと心配である。明日こそ応援にいくぞぉ。必勝・秋田商業高校野球部。

ところで、今日の毎日新聞の朝刊に本校のなぎなた部のインターハイ団体連覇のニュースが載っていた。イスラエルから帰って、WEBページで見たらまだ予選段階で、勝ち抜いていたことは知っていたが、昨日が決勝戦だったようだ。昨年はH姉妹で団体優勝を勝ち取ったのだが、姉が卒業して、妹が3年生としてなぎなた部の屋台骨を背負っていた。その妹君が、団体優勝と、個人優勝も勝ち取ったのだった。それも、個人戦では、姉が昨年負けて優勝を逃した相手にかたき討ち。たいしたもんだ。校舎の一番目立つところに、杉本美香選手銀メダルとともにまた新しい垂れ幕が下がるだろう。いやー、めでたい、めでたい。

秋田商業高校も、同様に明日は初戦必勝でっせ。声がかれるまで応援しまっせ。