2009年12月25日金曜日
福沢諭吉は嫌いだ
倫理の補習第1回目終了しました。幕末から福沢諭吉の啓蒙思想を中心に講義しました。おそらく予備校なら、さっと流すだろうなあと思います。でも、近代国家論から見れば、蘭学・洋学の意味は大きいと思うのです。日本が何故植民地化されなかったか。それは、ある一面においては江戸時代からの教育体制にあると私は思います。武士は、漢文的素養があり、いくら方言が酷くとも文書でやりとりが可能でしたし、農民や町民は一応の読み書き・そろばんが出来、後の近代国家最大の問題・国民皆兵につながると共に、教育による立身出世の基礎的可能性をもっていたことになります。封建制度の中で最も不満が蓄積していた下級武士階級からは、蘭学や洋学を武器に自己実現に走る者が出てきます。勝海舟も、竜馬も、大村益次郎も、半年だけイギリス留学した伊藤博文や井上馨もこのカテゴリーにはいるでしょうか。こういった司馬遼太郎的な視点で、倫理の授業をすると、かなりおもしろい講義になりました。佐久間象山なんて勝海舟の義兄弟であり、吉田松陰の師であり…福沢と勝は明治に入って大ゲンカするとか…日本史の授業のようになってしまいます。下級武士出身の福沢が、天賦人権論をとなえ、封建的ヒエラルキーを破壊した上で、個人として独立せよと言ったことは、まさにこの歴史のダイナミズムなのです。でも私は勝海舟の方が好きです。福沢は人間として嫌いです。少年時代、祠にあったご神体を暴いて、「ただの石じゃないか」と捨て、その辺の石と交換してから、そっと老人たちががただの石を拝むのを蔑んだという逸話や、戊申の頃、通詞として勤務していた江戸城危うしという場面で、「命あってのモノダネ」と、さっさと下城する逸話があります。彼の合理主義は、私の「人情の機微路線」とはサイクルが合いません。友達にはしたくない。私の財布に福沢君が登場しないのは、きっとその辺の事情なのでしょう。(笑)
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