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さて、そのアメリカの「市民宗教」について、本日はエントリーしようと思う。「宗教からアメリカ社会を知るための48章」(上坂昇著/明石書店)の書評の続きである。「市民宗教」とは、このブログでも何度か登場したルソーの『社会契約論』から始まった概念で、国民の宗教的指向性といえる。イギリスなら英国国教会、ドイツなら北部はルター派、南部がカトリックといった具合である。
アメリカは連邦憲法の修正第1条で、信教の自由を謳うと共に、政教分離の原則も規定している。だが、公務員の就任宣誓、さらに紙幣や硬貨には、「我々は神を信じる」の明示があり、一見政教分離に反しているようなことが当たり前に行われている。この神は、キリスト教の神と言うより超越的な神、社会に秩序を与える機能的な神と受け止められている。
歴代の大統領で最も尊敬を集めているのは、初代のワシントンと16代のリンカーンであろうと思われるが、彼らは特定の教会に属さないが礼拝には出席し、演説でも聖書的背景が色濃く出ている。しかし、ワシントンは神という言葉を、リンカーンはイエスという表現を使わなかった。しかし両者とも神への感謝を強く国民に訴えたと言われている。
アメリカにはフランスの”ライシテ”のような徹底した政教分離は行われていないし、多くの宗派に分かれているキリスト教やユダヤ教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教等の国民を包括した微妙な「市民宗教」を形成しているわけである。その最も顕著な例は、メリー・クリスマスを、ハッピー・ホリデイと言い換える風潮であるといえるだろう。



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