2025年4月9日水曜日

経済で読み解く近代史1

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「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第14回目は、いよいよ近代。イギリスの産業革命の背景について。

産業革命と言ってしまうと急激な変化が起こったように聞こえるが、18世紀前半から100年の長期にわたる持続的なものであった。イギリスでは、すでに16~17世紀に毛織物を手工業で生産するモデルが構築されていたが、より早く、安く、大量に生産できる効率的で資本の回転率が良い新しいモデルが必要とされていたのだが、インド進出によって画期的な綿布(キャラコ)に出会う。軽くて丈夫、通気性もよく、シャツなどへの製品化もしやすいスグレモノであった。なにより綿製品が毛織物より優れていたのはは、水洗いが可能であること。綿花を栽培できないヨーロッパでは水洗いできない不潔な毛織物を着ていたために病原菌に侵されやすく、特に免疫のない乳幼児の死亡率が高かったのだが、18世紀以後、綿製品の流通すると、乳幼児の死亡率が劇的に改善されたのである。

…本書には書かれていないが、インドから綿布を輸入する貿易商は大儲けしたが、毛織物業者は壊滅状態に陥る。しかし毛織物業者は議会を動かし、綿布の輸入を禁止する法律を制定した。そこで、貿易商はカリブ海諸島や、アメリカ南部で奴隷制プランテーションを経営し、綿花自体を輸入していく。毛織物業者もそれまでのノウハウを活かし、綿織物に転換していくのである。

原料(綿花)のコストを下げることに成功したイギリスは、次に製造コストを下げるため、紡績機や織機の機械化に向かう。羊毛より綿花のほうが強く機械化に適していたのである。18世紀の前半は、この機械の動力は人力や水力だったが、トーマス・ニューコメンが蒸気機関を発明、炭鉱の排水用ポンプとして使われていた。ピストンの上下運動を、紡績、研磨、製粉などに使えるよう、円運動に転換させる技術を開発したのが、有名なワットで、これをバックアップしたのが、かのアダム・スミス(当時はグラスゴー大学の教授で、すなわちスコットランドが発祥の地)である。この技術開発には実業家のボールトンが資金援助と特許申請、さらに金属加工業者として技術面からも支えた。1780年代に円運動の蒸気機関装置が実用化し、独占的供給をしたものの、1790年代半ばまで開発資金の回収、黒字にはならなかったと言われている。

追記:今日は新3年生の2クラスに行ってきた。どちらも真剣に地理総合のイントロダクションに聞き入ってくれた。大満足である。

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