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2001年にマディソンが刊行した「世界経済 千世紀の眺望」によると、1700年のGDP値は、西欧が$833億9500万(=約8.4兆円)、中国(清)は$828億(=約8.3兆円)、1820年では、西欧が$1637億2200万(=約16.5兆円)、中国は$2286億(=約22.9兆円)で、世界経済における当時の清王朝が巨大な存在であったことがわかる。しかし、西欧が当時1億3288万人、中国が3億8100万人であったので、1人あたりのGDPでは、18世紀の近代以後、西欧が大きく躍進しているのに対し、中国はラテンアメリカより低い時期もあって停滞している。中国の成長率はほとんどゼロ成長で、人口比と正比例しており、土地に束縛された小農民が自分たちの生存に必要な食料などの物資を自給するために生産活動をしていたといえる。
17~18世紀の清では、金融業の規制もゆるく、大都市では預金や貸付業務を行う「典当」や「銭壮」、為替や両替業務を行う「票号」という銀行も発達していたが、限定的で中国経済を牽引するほどの力はなく、資本の蓄積はあくまで中世的商業資本に過ぎなかった。このように、中国は、西欧の近代化に取り残されてしまう。
中国が近代化しなかった最大の理由は極端に低い労働コストにあった。当時、イギリスは綿製品の機械化で労働コストをおさえ、大量生産したが、中国では売れなかった。中国では綿製品は家庭で簡単な道具で紡がれ、織られていた。自給自足だったのである。結局、中国の綿製品のほうが安価であったゆえである。中国の農業生産性、利益性は高く、土地の痩せたイギリスと違い、あえて工業化をする必要性がなかったのである。
イギリスは、アヘン戦争で関税自主権を奪い、大儲けしようという魂胆であったが、上記のように売れず、反対に茶の輸入が増え、貿易赤字になっていた。中国への経済攻勢ができないので、武力で半植民地化を進め、貿易赤字を埋めるため、中国国内の金融、建設、海運その他のサービス業で利益をあげざるを得なかった。また、輸入超過の茶を植民地のインドやセイロンで栽培することになったのである。
…イギリスはアヘン戦争後、中国で大いに儲けた様に見えて意外に苦戦を強いられてきたのであった。また中国が近代化に遅れを取った理由は、労働コストの低さと農業生産で十分だった故である。こういう真実は、受験の世界史ではあまり語られない。実に貴重な視点を共有できたと思う。
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