2024年12月31日火曜日

江戸っ子アートのラスボス

https://nakka-art.jp/exhibition-post/kuniyoshi-2024/
大晦日であるが、我が家の日常には全く変化がない。(笑)TVがないことも大きいかもしれないが、正月も日常と変わらないだろうと思う。そうそう、3日に妻共々京橋で大学時代の友人と会うことになっているのだが、それに合わせて「歌川国芳展」に行くことになった。昔、天王寺美術館での「歌川国芳展」に行ったのだが、それ以来の大ファンである。

通勤時の地下鉄駅に、前回のデ・キリコ展同様、ポスターが貼ってあって行くことにしたのだが、実に楽しみである。中之島美術館に行くのも実に久しぶりである。何より、”江戸っ子アートのラスボス”というキャッチは、実に言い当てて妙であると思う。

というわけで、皆様、良いお年をお迎え下さい。

2024年12月30日月曜日

花園にラグビーの応援に行く

学院で親しくさせてもらっている元T大G高校のO先生と共に、花園ラグビー場に応援に行ってきた。関わりのある学校の部活を応援に行くのは嬉しいものだ。まして全国大会である。相手は、ノーシードとはいえ、強豪のS工高校である。

前半は、かなり押されていた。S工高校は、ラックもモールもうまい。フォワードも重量級で押しも強い。しかもラインアウトもタッチキックも実に上手かった。どうした?Bシード(T大G高校はBシード校である。)という展開で、前半は結局0-3で終わった。

後半、少し脚力や重量フォワードのパワーも落ちたS工高校に対して、バックスの見事な逆転劇で、結局14対10で勝利した。かなりヒヤヒヤした試合(トライ1つで逆転)だったが、Bシードの実力を見せつけての勝利にホッとした次第。トライの瞬間を撮りたかったが、応援に力が入ってそれどころではなかった。(笑)

サッカーも野球もいいが、ラグビーもまたいい。ルール、特に反則が複雑なので、余計ヒヤヒヤするところもまた魅力の1つである。1日の3回戦も是非勝ってほしい。いや、優勝候補の一角であるので、優勝も狙ってほしい。

2024年12月29日日曜日

人類史上最もやっかいな問題7

https://note.com/hkmr777/n/nd152b2cbb7c9
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評、第7.5回目。この書は、イスラエル独立度のスエズ紛争(第二次中東戦争)、第三次中東戦争(六日戦争)、第四次中東戦争(ヨム・キブール戦争)そしてオスロ合意とラビン暗殺と続いていく。その根幹にあるのは、イスラエルの右派の和平を潰す歴史と、パレスチナも同様に過激派のテロが和平を拒んできた歴史である。これらは様々な他の書で読んでいるので、かなり詳細に記されているものの、あえて割愛したい。

今回のエントリーは、学院の図書館で、この本を手にとってパラパラめくっていた際に見つけた、第22章「中心地の赤い雌牛」のイラストに由来する。この赤い雌牛とは、民数記19章に記されている第三神殿を建設する清めに必要な「完全な赤い雌牛5頭」のことで、第三神殿の建設地に灰にして撒き、清めるための生贄である。2000年間完全な赤い雌牛は現れなかったのだが、テキサス州の福音派キリスト教徒がイスラエルに送ってきたものである。ただし、実際にはイスラエルで生まれたものである必要があるらしく、この雌牛たちから生まれた子牛が生贄にされるというのが正しそうだ。(上記画像参照:ラビが赤い雌牛の確認をしている様子)

この22章に記されていたことで、まず最も興味深かった記述は、少数の非主流派ではあるがユダヤ教の急進的原理主義者は、第三神殿の外観を再現し、民数記に書かれた生贄の儀式の本番に備えた練習をしている、ということである。当然ながら第三神殿を建てるとしたら、現在はヨルダンが管理しているイスラム教第三の聖地・岩のドームの場所である。現在のところ、イスラエル生まれの完全な赤い雌牛が揃ったという情報はないので安心だが、揃ったとしたらかなりヤバイことになるのは間違いない。

さて、22章の主役はアメリカの人口の1/4を占めるという福音派のことである。ユダヤ民族とイスラエルは、彼らにとって神学の中心的要素である。前トランプ政権の副大統領のマイク・ペンス、国務長官のマイク・ポンペオは共に福音派である。現在の福音派は、アメリカ最大の親イスラエル団体AIPACより大きく影響力を持つ「イスラエルのためのキリスト教徒連合」(CUFI)となって、ネタニヤフの領土的極大主義構想を支持している。共和党支援の岩盤組織であるわけだ。

彼らの天啓史観は、19世紀イギリスのダービーが起源であり、今の時代が終わると「携挙」(けいきょ)が訪れ、真のキリスト者は天に移される。次に反キリスト者が台頭し、「艱難(かんなん)の時代」、ゴグとマゴグ(旧約聖書のエゼキエル書と新約聖書のヨハネの黙示録にある。ゴグは人名、マゴグはゴグのいる地名、ちなみにクルアーンの洞窟の章にも記述がある。)の戦いがあり、その後ハルマゲドンの大決戦があり、その時にイエスが地上に再臨し、イスラエル北部の平原で反キリスト者の軍を破る。これが「御国の時代」の幕開けで、善にある利した後「最後の審判」があり、「千年王国」が訪れるというものである。この史観の基礎的な問題として、ユダヤ人がエルサレムなどの聖地に戻る必要がある。そこから終末時計が時を刻み始めるからだ。なお、この史観では、終末が訪れてユダヤ人の役割が終れば、1/3がキリスト教に改心して救われる一方、その他のユダヤ教徒は未来永劫呪われるという。

22章には、こんな興味深い記述もあった。トランプ大統領は、古代ペルシャのキュロス大王(バビロン捕囚からユダヤ人を開放した)に例えられる。実際、ネタノヤフは、アメリカ大使館のエルサレム移転に際して、「ユダヤ人がキュロス大王を記憶するように、イスラエルはトランプを記憶するだろう。」と述べている。

…再選したトランプは、イスラエルの拡大戦略をさらに支持するだろうと私は思う。はたまた第三神殿再建のゆくえは…。

2024年12月28日土曜日

今年この一冊 2024

年末であるので、毎年続けている「今年のこの一冊」を挙げなければならない。2024年の私の読書の特徴は、ずばり、キリスト教関係の書籍を読みに読んだ1年だといえる。4月から、カトリックの学院にお世話になった関係で、それまで属性が薄かったカトリックの見識を増やしたかったことが大きい。カトリックの見識を増やしながら、オーソドックスやプロテスタントの教義や歴史を対比して理解しようとしてきた。さらに新約聖書と旧約聖書の内容をも比較しつつ、1年間学んできた。

世界史を学ぶうえでは、この一神教の理解がまず必要だというのは間違いないと思う。なかでもカトリックとオーソドックスの共通点と相違も重要だし、宗教改革後のルター派、カルヴァン派、英国国教会の共通点と相違も大きい。今年度は地理総合というフィールドであったので、空間的な各国の伝統的価値観から、これらを講じたわけだが、学院の充実した図書館の力を借りて、実に有意義な読書(というより教材研究)をさせてもらった。とはいえ、まだまだ研鑽は続くと思う。

この1年で、キリスト教の見識はかなり深まったと思うが、今年この一冊となると、違う分野で強力な候補が二冊挙がってくる。中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」(河出新書)と、河野哲也氏の「アフリカ哲学全史」(ちくま新書)である。両者とも、イスラムとアフリカというそれぞれの視点から、西洋哲学を俯瞰しているという共通点がある。

本当は、今年この「二冊」としたいところなのだが、あえて選ぶとすれば中田考氏の「イスラームから見た西洋哲学」だと思う。まさに哲学博士号をもつ日本最高のイスラム法学者として、中田考氏は、快刀乱麻に西洋哲学を批判していく。この深さは実に驚愕に値するものだった。
「アフリカ哲学全史」の方も実に興味深い内容だったが、河野哲也氏は、この書をきっかけに、これからアフリカ哲学をさらに追い求めるというスタンスであったので、中田考氏の恐ろしいほどの重厚さがないと感じた故である。と、いうわけで、2024年の今年この一冊は、「イスラームから見た西洋哲学」としたい。

冷凍食品の天下一品

先日、妻と買い物に出た時に、冷凍食品の天下一品を購入した。私は、昔から天下一品のこってりラーメンの大ファンである。果たして、冷凍食品となったこってりラーメンはいかがなものか。

これが、ほとんど店で食べるのと変わらない。少し量が少ないくらいだが、実に美味しかった。これなら、店に足を運ばなくても時々、あの感動を味わえるというものだ。妻は、無理やり天下一品でも付き合わせても、あっさりスープを頼むという人で、そもそもラーメンが好きではないし、だいたいが外食もあまり好まない。ならば1人でこれを妻に作ってもらうというカタチで、これからも私の強い味方になってくれそうだ。

2024年12月27日金曜日

多次元的貧困指数(MPI)

https://www.undp.org/ja/japan
T大G高校の冬季補習の模擬問題の中に、多次元的貧困指数(MPI)の資料読み取り問題があった。このMPIは、HDI(人間開発指数)と同じくUNDP(国連開発計画)が発表しているもので、途上国の貧困の状況を詳しく表すという主旨のものである。

問題としては、MPIの内容を文章化した資料、指数の計算方法、所得カテゴリー(上位中進国・下位中進国・低所得国)にしめる割合を示す円グラフ、横軸に貧困率/縦軸に貧困強度のグラフに、貧困人口を円の面積で示したグラフといった資料を元に読み取る問題である。よって、MPI自体を知らなくても解けるようになっている。

とはいえ、開発経済学を長年学んできた私にとって、MPIという新しい概念がすでに登場していたことに衝撃を受けた。まさに不勉強である。MPIは、multidimensiomal poverty indexの略である。当然ながら、少し調べてみた。教育・健康と生活水準の三分野が指数の元になる点で、HDIと似ているがより貧困の詳細に迫る内容になっている。興味深いのは、上記画像にあるように、生活水準の指標で、電力の供給がない、下水がないまたは他の世帯と共用、安全な飲料水がないか得るのに往復30分以上かかる、床が泥・砂・糞(これはおそらく牧畜との共存と思われる)、炊事用燃料が糞・木材・木炭、資産としてラジオ・TV/・電話・自転車・冷蔵庫・自動車・トラックを所有していないなどの項目で調査されていることである。問題のグラフを見るに、サブサハラ・アフリカでは、貧困強度、貧困率ともに厳しい。ニジェール、チャド、中央アフリカなどの国名が挙がっていた。SDGsの指標の影響も大きいこのMPI、またゆっくりと調べてみようかと思った次第。

2024年12月26日木曜日

バングラディシュの竜巻

https://www.unicef.or.jp/
kinkyu/bangla/2004_0827.htm
T大G高校の地理の冬季補習を3日間頼まれたので講じている。今日は中日なのだが、某予備校の共通テスト実践問題を解きながら関係項目も交えて解説をしている。受験の地理も、かなり思考を巡らせる必要がある問題ばかりである。一応、プロとしては大した準備(解答を見て正解を確認するくらい)もせずに対応ができる。今回も意欲も高い生徒諸君ばかりなので、楽しくやらせてもらっている。

とはいえ、私はソフィスト(無知の無知の意)ではないので、意外な発見というか新たな学びをすることが度々ある。災害については、新指導要領で地理で教えることになっており、必出の問題なのであるが、今まではあまり教えていない内容である。

今日、解説した表問題で、災害の種類(水害・地震・火山・地すべり・竜巻)と4カ国の数値(1950年~2006年の死者100以上の発生件数)のものがあった。4カ国(アメリカ、中国、バングラディシュ、フィリピン)は、すでに明かされており、それぞれの数値からアメリカに該当するものを選べというわけだ。

ここでは、何よりまず竜巻に注目するべきである。竜巻とくれば、OZの魔法使いではないが、アメリカである。しかし、7回と8回というふうに、2カ国が表に数値が書かれている。他の2カ国は0なので、この時点で絞られる。で、2カ国を対比すると、地震・火山が、0・0と2・1に分かれる。2・1の方がアメリカだとわかるわけだ。西海岸には、ずれるプレート(サン・アンドレアス断層)があり、地震が多いし、ロッキー山脈は新期造山帯でイエローストーン国立公園などは、世界最大のカルデラであるからだ。

こういう知識と類推的思考が正解を呼び寄せるわけだが、もうひとつの竜巻が多い国とはどこか、気になった。それがバングラディシュなのである。世界でも最大クラスの竜巻ベストテンというHPでは、1989年の死者1300人を出したダルテォプーサルトゥリアの竜巻が第1位、さらに3位・4位・6位・8位と5つもランクインしていた。https://zatsugaku-mystery.com/strongest-tornado/

これは知らなかった。大きな発見であった。ちなみに北米やオーストラリア、ロシアなどの大陸性気候のところが起こりやすいそうだ。

2024年12月25日水曜日

人類史上最もやっかいな問題6

「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評、第6.5回目。これまで見てきたように、パレスチナでは、そもそもスファラディ(イスラム教圏で比較的弾圧されることなく居住してきた人々)が共存していた。そこに、アシュケナジの社会主義的なシオニストが移住してきて、集団農場・キブツを建設してきた。その後さらにアシュケナジの移住者が増え、パレスチナ人と摩擦が起こる。やがて、アシュケナジの中でも右派が台頭し、その摩擦はイギリス委任統治時代に拡大する。WWⅡ後は、アシュケナジの何十万人という生存者がさらに移住をしてきた。

第一次中東戦争後の1950年、イスラエル国会は「帰還法」を成立させる。全てのユダヤ人はイスラエルに移住し、市民権を得る権利を有するというわけだ。イスラエル成立以後、最初の10年間で人口は2.5倍以上の200万人に達した。さて、一方、この中にはイスラエル建国で、居住していた国で反ユダヤ的機運が起こった中東や北アフリカから逃げ出してきたミズラヒムの人々が75万人以上いた。彼らは、イスラム圏(イラク、モロッコ、イエメンなど)にいたのでスファラディの中に入れられることも多いが、アシュケナジとは外見も違い、アラビア語を話す人々だった。主流派であった左派のアシュケナジは彼らを公平に遇していたわけではない。彼らは、文明的で生産的な市民になるべく再教育と啓蒙が必要な粗野な人々と見られていたのであった。

イスラエルに到着したミズラヒムは、滞在キャンプのテント村に押し込まれ、その後比較的大都市から離れた周縁部に送られたり、都市部でも危険なあまり好ましくない地区に定住した。この到着時の仕打ちがミズラヒムが、左派アシュケナジ・エリートに反発する遠因となっている。

ちなみに、ミズラヒムの超正統派は、スファラデイの超正統派と組んで、シャスという政党を支持している。シャスは、現在も与党でネタのヤフ政権を支えている。入植地からの撤退には断固反対の姿勢を崩さないのは、ミズラヒムの置かれている上記の社会的な問題が影響を与えているのではないだろうか。ただしパレスチナとの和平、あるいは紛争問題については無関心で、超正統派の社会福祉政策や軍役に就かないなどの超正統派の権利を守るための与党入という面が強い。一方、アシュケナジの超正統派は、ユダヤトーラー連合をもっており、与党だがシオニスト批判も行っている。

現状では、超正統派以外のミズラヒムはアシュケナジとの婚姻が続き、混合ユダヤ文化の様相を呈している。イスラエルの社会構造は実に複雑なのである。ただ、ミズラヒムのスタンスは、占領地を巡って実に重要であると思われる。

…イスラエル行以来、妻は、よくヒヨコ豆を料理に使う。これらの食材はミズラヒムの影響らしい。ちなみにミズラヒムのことを調べていたら、ニール・セダカが(トルコ系)ミズラヒムであるらしい。私は、彼のSUPERBIRDという曲が大好きで、聞きすぎて今でも英語で歌える数少ない曲の1つである。

2024年12月23日月曜日

エルサレムにある難民キャンプ

https://www.buzzfeed.com/jp/miriamberger/this-is-what-could-await-palestinians-1
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評、ちょっとコラム的に挟んでおきたい話(本書でもそうなっている。)として、エルサレムにある難民キャンプ”シュアファト”について是非エントリーしておきたい。

第一次中東戦争の後、ヨルダンがエルサレム旧市街から数キロの地点に難民キャンプをつくった。これが”シュアファト”である。当時はまだ東エルサレムとヨルダン川西岸地区はヨルダン領であったからである。しかし、1967年の第三次中東戦争後、イスラエルはこれらを併合した。よって、今はイスラエル国内の東エルサレムのど真ん中にこの難民キャンプがある。パレスチナ自治政府の警察はそこで活動を禁じられており、住民サービスは、他の難民キャンプ同様、UNWRA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が行っている。イスラエル政府は、東エルサレムに入植地(ユダヤ人地区)を建設し、この”シュアファト”に三方を囲まれた丘陵地に広がっている。

https://www.yomiuri.co.jp/
world/20240316-OYT1T50010/
”シュアファト”の窮状は、非パレスチナ人の目には、ほとんど映らない。ここに足を踏み入れた者は、警察官、軍兵士、人権活動家以外にはいない。観光客や巡礼者は、こんなところに難民キャンプがあるなどと誰も知らないだろう、と著者は記している。

…ところが、私は息子の住処が東エルサレムにあった関係で、この難民キャンプを取り巻く、ベツレヘムと同様の「壁」を(丘の上から)見た記憶が鮮明にある。(イスラエルに残った)アラブ人街も近くにあり、それらとはまた異質な長い壁。本書を読んで、その地が”シュアファト”であったことを確信したのであった。

人類史上最もやっかいな問題5

http://ninosan.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_01b8.html#google_vignette
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評第5回目。今回は、WWⅡ直後の状況についてである。ホロコーストの惨劇は、世界とシオニズムに大きな変化をもたらした。アラブの反発を恐れ、イギリスによる移民規制は続いており、海上封鎖(有名なのが上記画像のエクソダス号事件)まで行われ、ヨーロッパからの生存者は他の難民キャンプに送られていた。ユダヤ人への同情は高まっていく。両者の対立がさらに高まり、イギリスは世界中の反英感情の中、苦悶する。ついに、ユダヤ系の民兵組織はイギリスを追い出す反乱に打って出る。イギリスは、国際連合による管理を求めた。国連パレスチナ特別委員会の出した結論は、結局のところパレスチナ分割案であった。

1947年11月から翌年8月まで、ユダヤ人民兵組織とパレスチナのアラブ人・近隣の志願兵の間で内戦となった。アラブ側は、主要都市部から離れたキブツやコミュニティを攻撃し、エルサレムを包囲。2月にはアラブ系の過激派がエレサレム市内で爆弾テロを行い50人の市民と数百人の負傷者を出した。4月、極右の過激派イルグンとレヒ(イスラエル開放戦士団)が、ディル・ヤーシン事件(民間人の婦女子を含む250人を虐殺)を起こす。ユダヤ機関やイシューブから非難を浴び、アインシュタインやアーレントもアメリカから糾弾した。しかし、この事件がアラブ系の人々に与えた恐怖は大きく、戦況が反転する。ただ、著者によると、この事件は、今のイスラエル支持者にはあまり知られていない、という。

1948年5月14日テレアビブ美術館(現独立記念館)で、ベングリオンは独立宣言を行う。アメリカのトルーマンはすぐさま承認した。翌日、トランスヨルダン、シリア、エジプト、イラクの軍隊が侵攻、戦争(第一次中東戦争)は第二段階に発展する。イスラエル国防軍は、イルグンとレヒも統合したが、彼らは過激派として従わなかった。ベングリオンは、彼らの秘密裏な武器調達(テレアビブの沖合に停泊していたアルテレナ号)を赦さず、後首相となるラビンに砲撃を命じ、ユダヤ人同士で衝突した。しかし、これ以後は国防軍の統一が図られた。このように、ユダヤ人の中でもベングリオンら実利主義の社会主義的シオニズムの一団と、右派シオニストの対立構造は、すでにあり、現在のリクードなどに繋がっている。

1949年7月20日、中東戦争終結。歴史的パレスチナの78%をを領有。ヨルダンは、ヨルダン川西岸と東エルサレム(但しヘブライ大学のあるすコーパス山はイスラエルの飛び地)、エジプトはガザ地区を得たが、パレスチナ人には何も得られなかったばかりか、約70万人が難民化した。

…ホロコーストによるユダヤ人の悲劇は、西側が罪の意識を持つことは当然としても、パレスチナ人がその贖罪をしなければならない、というのはまさに理不尽であるといわねばなるまい。

2024年12月22日日曜日

人類史上最もやっかいな問題4

https://thejudean.com/index.php/history/64-the-balfour-
declaration-the-mandate-for-palestine-1917-1922
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評第4回目。今回は、WWⅠ後のパレスチナの歴史である。極めて詳細に記されておりわかりやすい。大戦中、イギリスは三枚舌を使ったことが、高校の世界史では教えられる。まずは、1915年10月から16年にかけて、オスマン帝国支配下、駐エジプト高等弁務官だったマクマホンと、メッカの太守だったフサインの間でやりとりされた公開書簡(フサイン=マクマホン協定)。これによるとオスマン帝国からの独立をイギリスが支持するとある。一方、1917年11月にはイギリスの外務大臣バルフォアがロスチャイルド男爵に公開書簡(バルフォア宣言)を送った。これは、大戦後にイギリスが中東支配を確立するために、またアメリカのユダヤ人の(WWⅠへの)参戦反対を抑えるため、ユダヤ人の民族的郷土の建設を支持することが優れた国際的政略だとするものであった。同じ頃、ロシア革命でWWⅠから離脱したロシア(ソヴィエト社会主義共和国)が、資本主義国を困らせようと、戦時中の英仏露で結んだた秘密協定を1917年11月に暴露したのである。いわゆる1916年の英仏で中東地域を分割しようとしたサイクス・ピコ協定である。

大戦後の1923年、イギリスは国際連盟によって、パレスチナとトランス=ヨルダンの委任統治権を得た。イギリスがこれらの地を征服し、連合国側にもたらした見返りである。ユダヤ人にとっては、イギリスは頼みの綱だったが、アラブ系の反発は極めて強かった。以来30年間イギリスはそのバランスを取るため揺れ続ける。なにより、委任統治開始直後に、フセイン=マクマホン書簡の内容はパレスチナ以外の中東地域に適用されると言い出し、その後も様々な約束をしては変更を重ねていく。結局、サイクス=ピコ協定とバルフォア宣言が生かされ、アラブの指導者たちは裏切りに怒り心頭となるわけだ。

余談だが、正式にイギリスが委任統治する以前の占領下、1921年ヤッファでアラブ人の暴動が起こる。この時、チャーチルが白書(公式文書)を出して、ユダヤ人のパレスチナへの継続的だが無制限ではない移住に賛成した。これは、イギリスがシオニストを全面支持しているわけではないことをアラブ側に保証しようとしたものだったが、ゼロサムゲーム的な暴力をイギリスは抑え込むことはできなかった。

国中に散在するユダヤ人共同体は、ユダヤ機関の指示で民兵組織ハガナ(ヘブライ語で防衛)を組織する。この頃のハガナはまさに専守防衛で民間人への攻撃や、報復行為は少なくとも建前上堅持されていた。イギリスは、この暴力の連鎖を断つべく、パレスチナ移住を白書で制限した。これに対し、右派の活動家がイルグン(組織・機構という意味のヘブライ語)という現在的に言えばテロ組織を組織する。イギリス軍と協調的であったハガナとも衝突する。この指導者が後の首相となるベギンであるのには驚かされた。

こうした中、ヨーロッパでナチによる反ユダヤ主義が再燃し、パレスチナ移住が加速される。アラブ人は1936年大規模なゼネストを行った。イギリスは分割統治案を出す。(ビール委員会)ゼネストは、武装蜂起に発展、イギリス軍(とハガナ)は何千人ものアラブ人を殺害し、弱体させた。イルグンは爆弾テロを実行し、ユダヤ人指導層から非難された。WWⅡ前夜の1939年、イギリスはマクドナルド白書を出して、分割統治を破棄、アラブ人(100万人)とユダヤ人(50万人)の共同統治と移住の著しい制限を発表した。この後、ヨーロッパで600万人のユダヤ人が絶滅する最も危険な時期のことである。

…イギリスの三枚舌外交を時系列で追いながら、パレスチナの状況はますます混沌としていく様子は両者にとって実に悲劇的だ。ハガナとイルグンの成立も、これ以後のイスラエル軍の方向性にとって実に重要である。やはり、受験の世界史では本当の歴史を感じきれないと思う。まあ、範囲が広すぎるし、時間がないので仕方がないか…。

2024年12月21日土曜日

学院のクリスマス

学院はカトリックの学校なので、クリスマスが近づくにつれ、いろいろと発見があった。朝礼では、11月が追悼の讃美歌だったのが、12月に入って一気にクリスマスの賛美歌になった。有名な「もろびとこぞりて」の歌詞が違うバーションもあった。徐々にクリスマスに向かっていると思ったのが、学院の技術さん(公立高校では管理作業員さん)たちが、いたるところにライトアップ作業をしておられたこと、さらにクリスマスツリーも置かれるようになった。(クリスマスツリーはルター派が起源であるが、講堂で行われるミサなど公では登場しないものの構内にはいくつか置かれていた。)

昨日は、朝1限の授業の後、5・6限で特進コース向けの公共の倫理分野を希望者に講じた関係で、時間があったので、3・4限に行われた中高合同のクリスマスタブローの練習を講堂に見に行ってきた。このタブローというのは、キャストのストップ・モーションにナレーションが入る紙芝居のようなものである。ここに、合唱(コーラス部・3年生の音楽選択者・中学生生全員・高校生全員など色々)や吹奏楽部、ハンドベル部などが参加し、様々な組み合わせで構成されたイベントである。この時は、キャストは制服のままであったが、当日は、天使やマリア・ヨセフ、三博士や羊飼いの衣装を身に着け、照明(これも音響ミキサーと共に技術さんが担当されているらしい。)も見事だということであった。私は、そもそもイベント屋なので、頭の中で進行表を作っていた。(笑)生徒の導線やキャストの配置図など時間軸を中心に描き、音響照明も合わせて1枚の進行表にすると、なかなか複雑である。指揮されている担当の先生方のご苦労がしのばれるし、ちょっと昔のことを思い出したりして、懐かしい気持ちになったのだった。

残念ながら、当日の今日は2ヶ月前から決まっていた通院の日であったので参加できなかった。来年は是非本番を見てみたいと思う。というわけで、クリスマスタブローの写真はなく、今日の画像は、2年生の教室に飾られていたステンドグラス的生徒作品(担任の先生によると宗教科の時間に作成したということである。)にした。これもなかなかクリスマス的である。

2024年12月20日金曜日

人類史上最もやっかいな問題3

https://4travel.jp/travelogue/11652286
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評第3回目。今回は、まずパレスチナ人の起源についてである。様々な論争や異論にさらされているのだが、一説によれば聖書時代のカナン人、ペリシテ人の直系というのがある。もし、カナン人であるとするならば、ユダヤ人より長くこの地に住んでいることになる。聖書によれば、ユダヤ人はカナン人を侵略・征服して、この地を得たことになっているからだ。最近の本格的な研究によれば、何世紀にもわたってパレスチナに移住してきた様々な民族や文明が混ざりあって生まれたのであり、その中には聖書の民族が含まれているというものである。と、なれば現代のパレスチナ人の一部はユダヤ人の子孫でもある。もちろん、時と共に最も支配的な宗教(土着の多神教、ユダヤ教、キリスト教、最後はイスラム教)を信じ、言語もヘブライ語、アラム語、最後はアラビア語を選んできた。この最後のイスラム教とアラビア語が、彼らをしてアラブ世界の一部とみなすようになったというわけだ。

ところで、19世紀後半のオスマン帝国支配下、パレスチナは開発の遅れた辺境地帯であって、大半は不在地主の土地で小作人として貧しく、識字率も低くかった。シオニストの移民が押し寄せた頃、パレスチナ人の人口は60万人ほどだった。この状況が変化を見せたのは、オスマン帝国の近代化政策で、パレスチナの無法地帯を取締り、道路や鉄道のインフラを整備し、農業生産も向上した。これはオスマン帝国全土で行われたものであるが、これが反対に帝国の衰退につながる。各地でナショナリズムが高揚したからである。ギリシア人、マケドニア人、ブルガール人、アルバニア人などが主であるが、パレスチナを含むアラブ世界も同様であった。パレスチナ人にとって、押し寄せてくるシオニスズム(ユダヤ人のナショナリズム)に対抗するため、自らのナショナリズムが高揚していくのである。

…上記のパレスチナ人の起源に関連して、遊牧民国家・ハザールのアシュケンジ起源説を調べてみた。支配層がユダヤ教に改宗したこと、ユダヤ系を受け入れたことは事実としても、アシュケナジの起源説(すなわち、血筋の起源はパレスチナにあるのではない説)は違うことがかなり明白である。

2024年12月19日木曜日

人類史上最もやっかいな問題2

https://note.com/araimot95/n/n0ad742f8f6d4
「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)の書評第2回目。この書籍は、かなり詳しく、イスラエルとパレスチナ人の歴史を紐解いてくれている、実に興味深い内容である。第2回目は、イスラエル建国以前の話である。

1880年代初頭、暴力的なボグロムや反ユダヤ主義を背景に、東欧出身の若いユダヤ人が集団を成してパレスチナに押し寄せた。(「上ること」を意味するヘブライ語で、”アリヤー”と呼ばれた。)彼らは、オスマン帝国の不在地主から購入した土地に町を建設し、農村共同体や都市共同体をつくった。この頃、ユダヤ人言語学者が、シオニズムの精神に則り、おおむね典礼的・宗教的な言語だったヘブライ語を日常的な話し言葉に変化させた。20世紀初頭までに、理想に燃えた社会主義的傾向の何万人ものユダヤ人が、東欧の強制集住地域から移住した。(つまり先住のスファラディではなくアシュケナジである。)キブツや自衛組織を立ち上げ、新しい制度を立ち上げたのである。その1つが、古代からの港ヤッファ近くのいくつかの砂丘で、誕生した(現在では)賑やかで、文化的で政治的に自由で、ヘブライ語を話し、近代的で世俗的な大都市テレアビブとなったのである。

ただ、初期の移民は生活があまりに困難で、もといた国に帰った者が多い。衣食住などの生活必需品にも事欠き、公共のインフラもほとんどなく、増え続けるユダヤ人にますます敵意を抱くようになったアラブ系住民がいた故である。しかし、キブツを建設し、さらに土地を購入し組織や制度を確固とした開拓者もいた。こうしたコミュニティは、「新イシューブ(新ユダヤ人共同体)」として知られる。1929年、後の初代首相・ベン=グリオンを初代議長とする世界中のユダヤ人にパレスチナ移住を促す「ユダヤ機関」が成立、前国家政府的な機能を果たすことになる。

…テレアビブの名がでてきたので、私が訪れた時、意外な事実を知ったことを記しておきたい。テレアビブは”バウハウス”の街だったのである。(本日の画像は、この建築がバウハウスであることの案内板)バウハウスとは、ドイツのワイマール時代の合理的機能的なデザインや建築の学校のことだが、ここでは、その影響下の建築を指していると考えてほしい。実は我が母校(大阪市立工芸高校)の教育の中心概念はバウハウスであった。宿泊したホテルが、極めてデザイン的な機能美を有していたので、確認したらバウハウスのホテルであった。もちろん、本日の書評とはかなり時間的ズレがあるのだが…。ちなみに、ヤッファも、となでもなく芸術的な街であった。

2024年12月18日水曜日

オランダ独立戦争とニシン

https://tanabotalog.com/leiden/
「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録・その5。オランダは、まさにネーデルランド(低地の国)で、首都名もアムステル川にダム(堤)を作ってできたことを表している。15世紀後半、ハプスブルグ家の領地となるが、宗教改革の影響で、カルヴァン派が増えると、カトリック・バリバリのカール5世やフェリペ2世と対立・弾圧を受け、以来80年にわたって(ハプスブルグ家の主たる国家:スペインとの)独立戦争を戦い抜くことになる。

最大の戦いは、アムステルダムの南西に位置するライデン(上記画像参照:レンブラント橋)の攻防戦(1574年)であった。独立の英雄・オラニエ公ウィレム(調べてみると、カール5世の侍従などをしていたらしい。フィリペ2世の圧政に立ち向かったが、本人はカトリック教徒であった。)は、スペイン軍に包囲されたライデンを水攻めしようとしたが、堤防を決壊させたが、水位は低く陥落寸前になったのだが、強い偏西風が吹いて、スペイン軍を大混乱に追い込み撤退させることに成功した。

飢餓状態だったライデンに、北海で捕れたニシンが届き、名産の酒・ジンとともに解放を祝ったという。以後10月3日の解放記念日にはライデンでは、ニシンを食べる日になっている。

オランダのスキポール国際空港は、私がヨーロッパに足を踏み入れた最初の地なのだが、海面下にある。そのような感覚は全くなかったのだが、もっと低い死海でもそうだったので、人間の感覚などたいして当てにならないものだと思う。(笑)

2024年12月17日火曜日

ニュージーランドの語源

http://polandball.jp/blog-entry-14666.html
「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録・その4。世界には、”ニュー”がつく地名が多いのだが、わかりやすいのもあれば、わかりにくいものもある。ニューヨークは、オランダ領からイギリスが取り上げたときに、ニューアムステルダムから当時のイギリス国王ジェームズ2世の爵位・ヨーク公の名を付けた。これは初めて知ったのだが、ニューアムステルダムの前に、16世紀フランスの命を受けたイタリアの探検家が「ヌーヴェル・アングレーム(英語ならニュー・アングレーム)」と名付けていた。アングレームはフランス中西部の都市であるそうな。ニュージャージー州のジャージーは、イギリス海峡に浮かぶ島の名前で、これはわかりやすいが、ニューオリンズは、フランスの都市・オルレアン。これはちょっと難しい部類。

さて、かなり難しいのは、ニュージーランド。”ジーランド”とは何処か?正解は、オランダの南西部・ベルギーとの国境付近にあるゼーラント州である。17世紀のオランダの探検家・タスマンが命名した。オランダ語の”ゼー”は海、”ラント”は国なので(やはりオランダ語は英語に近い。)、新しい海の国という意味になるわけだ。ちなみにオーストラリアのタスマニア島はタスマンの名前を取っている。

…ノースカロライナ州に行った時、ALTの故郷・ニューバーンという街を訪れた。ここはスイスのベルンに、ニューがついた街。こういうのを調べてみるのも地理のおもしろいところだ。

2024年12月16日月曜日

人類史上最もやっかいな問題

先日、学院の図書館で、もう1冊借りた本は、「イスラエルー人類史上最もやっかいな問題ー」(ダニエル・ソカッチ著/NHK出版)である。「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録の続編をちょっと置いて、この本についてエントリーしようと思う。

著者は、アメリカ・サンフランシスコ在住のユダヤ人。「新イスラエル基金」(パレスチナの人々の権利の保護も謳うリベラルな組織)のCEOで、実に中立的に書かれている。イスラエルとパレスチナの問題は、たしかに人類史上最もやっかいな問題である。かなり詳しく歴史を追って解説してくれている。まだ途中だが、これも備忘録的に、是非エントリーしておきたいと思ったのだ。

ディアスポラの時代、スファラディ(語源はヘブライ語のスペインを意味する”セバラデ”)は、北アフリカから南欧、中東、そして南米まで移住した。ニューアムステルダム(現NY)に初めて到着したユダヤ人はブラジルのスファラディで彼らはスペイン語を基にしたラディノ語を話していた。

アシュケナジは、スファラディに比して迫害を受け続け、最終的には東欧に落ち着いた。18世紀、ロシアとオーストリア=ハンガリー帝国に住んでいた数百万人のアシュケナジは、イディッシュ語(ヘブライ文字を使っていた)を話した。彼らは「ユダヤ人強制集住地域」に住むことを余儀なくされていた。現在のロシア西部、ベラルーシの一部、バルト三国の一部、ポーランドの一部にあたる。「屋根の上のバイオリン弾き」(原作はイディシュ語作家の小説「牛乳屋テヴィエ」)も、私の大好きなシャガールの絵画もこの地を舞台にしている。ちなみに、ユダヤ人が強制的に住まわされた”ゲットー”発祥の地は、ベネチアで、そこにあった鋳鉄工場をさすイタリア語にちなんでいるとのこと。(これは意外。)

18世紀のヨーロッパに吹き荒れた啓蒙主義は、ユダヤ人に希望を与え、ハスカラ運動という社会との順応とユダヤ教の律法や慣習を調整しようとする改革派ユダヤ教(アメリカで最大のユダヤ教宗派)が生まれた。しかし、19世紀末には、その希望が打ち砕かれる。ロシアでは、ボグロムや捏造されたシオン賢者の議定書など迫害が起こり、何百万人ものアシュケナジがアメリカに移住した。一方で、社会主義や共産主義に身を投じる者も多かった。ユダヤ人労働者総同盟(ブンド)はイディシュ語を話す社会主義者の大衆運動であった。少数ながら、パレスチナに戻ろうというユダヤ人のナショナリストもこの頃誕生した。…ブンドは、同盟を意味するイディシュ語であるらしい。ドイツ語ではブント。日本の学生運動でも共産同を意味し、有名なのでハッとした次第。

ところで、当時のパレスチナには崩壊しつつあるオスマン帝国の僻地で、現地のアラブ人に混じって約2.5万人のスファラディが、古代の4大聖地(サフェド・ティベリアス・ヘブロン・エルサレム)で信仰を守っていた。彼らは海外のユダヤ人コミュニティからの援助に頼っていた。1880年代、パレスチナに帰還を考えるユダヤ人が増加するのだが、1894年のドレフェス事件で、良識あるヨーロッパ人への信頼も破綻する。ブダペスト出身のジャーナリスト・ヘルツルが「ユダヤ人国家」でユダヤ人による民族自決というビジョンを提起した。シオニズムの始まりである。(ただ、ヘルツルは、パレスチナに固執しておらず、アルゼンチンやケニアなども検討対象にしていた。)

ここで、著者はシオニズムという語の複雑さ、多様性についてかなり論じていいる。シオニズムとは、イスラエルにユダヤ人の祖国を再建することを目指す思想であり、運動であるといえるのだが、ナショナリズムの時代の産物であり、他のナショナリズム同様、誇りや外国への嫌悪、優越感などの要素を含んでいる。シオニズムは、一枚岩ではなく、多くの見解に分かれていると著者は言う。次にその代表的なものを解説している。

1.左派の労働シオニスト。ユダヤ人国家における社会主義社会実現を提唱した。1948年のイスラエル建国以前および、その後の30年間を支配した。集団農場(キブツ)を創設し、土地と深く結びつき土地を耕して守る人々という新しいユダヤ人の出現を促すよう提唱した。

2.右派の修正主義シオニスト。労働シオニストの思想的ライバルっで、領土拡張という戦闘的福音を説いた。「大イスラエル」(聖書に記されたイスラエル王国:現イスラエル全土+ヨルダン川西岸+ガザ+レバノンの一部+ヨルダン全土)主義でアラブ人を服従させて共存させるという主張。1948年から1977年まで、右派は万年野党であったが、ベギン、シャミル、ネタニヤフらが首相となりイスラエルの政治を支配するようになった。

3.超正統派(シオニスト)。この世俗的な左派・右派は、国会で過半数を得るためには、超正統派の宗教政党(スファラディーやミズラヒム系のシャスとアシュケナジ系のユダヤ・トーラ連合)と手を組み連合政権をつくる必要があった。この超正統派の宗教政党は、ユダヤ人の宗教生活を継続的に支配すること、自分たちのコミュニティの資金確保には関心があったが、それ以外の国家的問題には特に関心がなかった。…超正統派は、生活保護と兵役免除で宗教学者的生活を守れている。たしかに彼らは、様々な理由で退避してきて、イスラエルにいるのだが、反シオニズム(例えば、イスラエル建国はメシアによってなされるべきで、人為的な建国は間違っているという主張)的な人が多い。

4.宗教シオニスト。ユダヤ人のイスラエルへの移住は、神学と運命の成就であるという信念から、六日戦争の後、特定のイデオロギーを持たなかったが、極右的、神秘的、民族主義的な方向にかじを切り、入植運動の教義と化した。現代イスラエルで最も強力な集団となった。

5.文化シオニスト。イスラエルの地は、土地や言語とのつながりが、ユダヤ人の文化や歴史にとって重要であるにすぎないとして、ユダヤ移民はパレスチナ人と共存できるする人々。政治参加していないので、彼らのビジョンは規範になり得ていない。

…実に興味深い内容なので長い引用が続いた。たしかに、シオニズムは、実に様々な視点によって語られている。これからの授業では、シオニズムを語る時、大いに注意しなければならないと思う。

2024年12月15日日曜日

ホームステッド法と共和党

https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%
A0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E6%B3%95/
「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録・その3。地理の村落と都市の項で、条里制や円村などと一緒に、アメリカのホームステッド法・タウンシップ制度を教える。

アメリカでは、買収や併合で得た広大な土地を農民たちに払い下げていく。この区画がタウンシップである。まず1辺6マイル(9.7km)の正方形に区画し、1マイル四方の36の小区画を作り、16区画目には学校を置き、この小区画を4つの家で開墾することになる。(1つの家で800m四方=160エーカー=64万㎡)これで、1辺6マイルの土地に140軒の農家と1つの学校が生まれる、というシステムである。

最初は農民に販売していたのだが、それなりに高額だったのでなかなか進まなかった。ここにリンカーンが登場する。彼は、未開の公有地に5年暮らしたら上記の160エーカーの土地を無償で得ることができるというホームステッド法を1862年に発効させているのだが、この無償化には南部の大土地所有者は、中規模自作農民が増加することに反対で、それまで議会では否決され続けていた。南北戦争が起こったのは1861年だから、南部諸州が議会から離脱したがゆえにやっと成立できたのである。

リンカーンは奴隷解放令で有名なので、民主党のようなイメージがあるが、共和党である。アメリカ中部の農村に共和党支持者が多い(レッド・ステート)理由はここから始まっている。

…それにしても、1つのタウンシップに学校が必ず置かれる、というシステムにアメリカの先見の明というか、持続可能性を私などは感じるのだが…。

2024年12月14日土曜日

14世紀の危機・17世紀の危機

コア東京Web
「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録・その2。14世紀から19世紀半ばにかけて、ヨーロッパを中心に小氷期が訪れる。いまや地球温暖化が懸念されているが、歴史的にはこの地球寒冷化の方が大きな危機をもたらした。この主原因は、太陽の活動の極小化だと言われている。

まずは、「14世紀の危機」。この時期には百年戦争やモンゴル帝国の解体などの大きな戦乱や国家の衰退が多発した。中国では、頻発する飢餓の影響で紅巾の乱が起こり、朱元璋の明ができる。が、なにより「14世紀の危機」といえば、ペストである。好冷性ペスト菌は、1331年の中国・雲南地方の感染拡大からモンゴル帝国のネットワークで、1347年にクリミアで、1348年にイタリア半島、フランス、翌年イギリスへ、更に翌年神聖ローマ帝国へと拡大。ヨーロッパの人口の1/3を死亡させるパンデミックであった。この人口減が農奴解放(あるいは待遇の改善)、宗教改革にも大きな影響を与えたわけだ。

「17世紀の危機」は、テムズ川が凍結するほどの寒冷化で、農業生産に大きな影響を与えた。同時に再度のペストの流行が起こり、社会不安が増す中、三十年戦争(ドイツ人口の1/3が死亡)、カタルーニャの反乱、ピューリタン革命などが頻発する。これに加えて、新大陸からの銀の流入が大きく減少し、経済的にも通貨量が不足したため、農村の疲弊は激しかった。こんな中で、発展した国は商工業を中心にしていたオランダであった。

…ペストもコロナと同じく中国発症であるところは、歴史は繰り返す、であるわけだ。

2024年12月13日金曜日

テチス海と大理石&石油

https://chematels.com/article/clbuh1zcb6mfn0b16eqex4p9j
「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)の備忘録・その1。地理では、大地形を教えるのに大陸移動説を講ずる。ゴンドワナ大陸とローラシア大陸くらいは教えるが、もっと詳しい名称は割愛することが多い。本日の備忘録の中心課題は、当時、赤道付近にあったテチス海(上記画像参照)のことである。

テチス海は、現在の地中海付近から中央アジア、ヒマラヤから中国南部、東南アジアまで広がっていた。この古地中海(大陸に狭間れているという一般名詞としての地中海)は、画像にあるように赤道が通っていた。よって、栄養豊富で、プランクトンも多く、サンゴ礁もあったわけである。このテチス海、インドが大陸移動し、塞がってしまう。この時の衝突でできたのが、かのヒマラヤであるわけだ。ヒマラヤ山脈の最上部は石灰岩で、海の生物の化石が発見されているのは、そういう理由による。

地中海地方は、パルテノン神殿やコロッセオや彫像に、(サンゴや貝殻が積み重なってできた岩石がマグマなどの熱と圧力で再結晶した結晶質石灰岩である)大理石が多く使われているのは、そのためである。ちなみに、この石灰岩ベルトは、前述のように元テチス海に沿って東南アジアまでの地域に広がっている。中国南部の雲南省・大理が、大理石の語源であるし、ベトナムのハロン湾や桂林のタワーカルストにも繋がっている。そして何より、その間の中東地域には、プランクトンの死骸が元になって生成された石油が豊富に算出するわけだ。現在のユーラシア大陸を東西に結ぶ元テチス海の石灰岩ベルト、恐るべしである。

2024年12月12日木曜日

「世界史と地理は同時に学べ」

学院の図書館で、また2冊借りてきた。そのうちの1冊「世界史と地理は同時に学べ」(山崎圭一著/SBクリエティブ)は、1学期に図書館の新着図書案内に出ていたのだが、貸出中だったので読めなかった本である。著者は私と同業者である。まさにタイトル通りの項目が地域別に44ある。周知のものも多いが、以後、備忘録的にエントリーしておこうかと思う。この本、すでに1日で読んでしまった。(笑)それくらい私と属性の強い本だと思う。

ところで、今日の朝、ふとした発見の話としてエントリーした”temptation”(誘惑)。シリア政府軍(ロシア軍も含めて)の軍事的空白は、イスラエルにとってまさに「誘惑中の誘惑」であったに違いない。シリア政府軍の軍事施設をここぞとばかりに空爆しまくっている。先日私の予想をエントリーしたが、まさに的中した。まさかダマスカスを制圧することはあるまいが、ゴラン高原から占領地を拡大する方向に進んでいる。近隣のイスラム諸国は非難しているが、具体的な動きはなさそうだ。

temptation

水曜日の学院はEnglish-dayで、毎週お祈りも英語で行われる。
ふと英文の中に、”temptation”という語があるのを発見した。その意味を日本文を参照したら、「私達を誘惑におちいらせず…」の”誘惑”であることに気づいた。私の語彙力はそんなものである。(笑)しかも昭和の人間である私は、この”temptation”は、おそらくグループサウンズのテンプターズに関係あるのではないかと推測した。

昨日は仲の良いG先生が放送担当していて、終了後G先生とそんな話をしていたのだった。当然アメリカ人のG先生は知る由もない。(笑)英語の先生を交えて、テンプターズの説明をしてもらった。「ボーカルのショーケンは、アクターでもある。」という話になって、”太陽にほえろ”のマカロニ刑事役が有名だとか盛り上がったのだった。G先生は、真面目な人なので、いちいちPCで検索したりして盛り上がったのだった。(笑)

ちなみに調べてみると、テンプターズは「太陽の誘惑」という映画から命名されたらしい。ショーケンの芸名の由来は、メンバーに、ダイケン、チューケンがいて、3番目なのでショーケンとなったらしい。グループサウンズなは、私が小学生の頃の話であるから、誘惑という英語も、萩原健一の名前の由来も全く知らなかった。なんか新鮮である。そもそもグループサウンズは、好きではなかったし…。

2024年12月10日火曜日

アラブの春の最終章への危惧2

https://www.pngwing.com/ja/search?q=%
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シリアの情勢について、昨日エントリーしたが、イスラエルのことを書き忘れていた。イスラエルは、基本的にダマスカスはおろか、バグダットくらいまで領土拡大の野心を持っているはずだ。ネタニヤフは、シリア政府軍のイラクへの撤退、ロシアとイランの弱体化を絶好の機会と捉えて、ゴラン高原から北上し、できる限りの領土を拡大する可能性が高い。反政府の武装組織の戦力は到底イスラエル軍の敵ではないからだ。ただ補給線が伸びすぎるとリスクが増すので、それもトランプが大統領に就任するまでの短期的な戦略だと私は思う。

トランプが正式に大統領になれば、その和平仲介を受けて、その拡大した領土を縮小すると見る。少なくともゴラン高原+αを得ることが出来るだろう。ダマスカスの軍事拠点を空爆したのもその前哨戦にすぎない。イスラエルにとって、国際法は、所詮人定法。アブラハム以来の選民としての神から与えられた地という神定法が優先される。

アメリカは、ISの拠点を爆撃した。ISの思想は、イスラム復古主義のカリフ制につながる反欧米・反キリスト教であるから、HTSがアルカイーダと手を切ったとしても、ISの思想的影響は十二分に残されているわけで、危険だと見たのだろう。これは、残る任期が少ないバイデン政権中の、軍産複合体のあがき(少しでも兵器の消費と需要の拡大戦略)にも見える。おそらくトランプ政権になれば、世界的に和平の動きが加速するはずである。イスラエルの戦争をトランプは止めることはできるだろうと思うし、ウクライナ紛争もその可能性に期待したい。(ただ、対中国では、強気で追い込みをかけるだろう。)

…ところで、小事かもしれないが、アラウィー派の宗教指導者たちは、反政府軍に恭順するとの書面をだしたらしい。HTSの署名は現在のところされてないそうだが…。また前政権の首相は亡命せず、権力移譲の手続きを取っているらしい。

…今日の授業、ポスターセッションの各班での検討に入った際、シリアのことを聞いてきた生徒がいた。雑談的に講じたのだが、こういう国際情勢に高校生が興味を持ってくれていることは実に重要だと思う。

2024年12月9日月曜日

アラブの春の最終章への危惧

2010年のチュニジアに始まったアラブの春は、リビア、エジプト、湾岸諸国など多数の国へと波及し、シリアが終着点となり、長期の内戦となった。そのシリアで、ついにアサド大統領がロシアに亡命したというニュースが流れた。(タス通信が亡命を報じたので事実だと思われる。)私は中東問題の専門家でも国際政治学者でもない、一社会科教師として、現在の時点で思うところを述べたい。

アラブの春は、リビアでもカダフィが退陣して内戦化、エジプトもムバラクが退陣して、民主化が図られ、ムスリム同胞団が政権を握ったが、クーデターで軍事政権化した。唯一民主化が軌道に乗ったチュニジアも独裁化の懸念が起こっている。シリアが内戦の泥沼にはまったのは、アサド政権が他のアラブ諸国のように退陣せず踏ん張って弾圧したからである。

このシリア内戦、アサド政権を支援したのは、ロシアとイランである。旧宗主国のフランスが、少数派である(シーア派のカテゴリーに属する)アラウィー派のアサド家を支配者に置いて間接支配しようとした姑息さが遠因である。イランが支援したのはそういう宗派対立が背景になる。一方、ロシアは地中海に唯一維持している軍港があるためである。反政府勢力を支援したのは、ロシアとイランの仇敵アメリカとスンニー派の盟主サウジである。トルコもスンニー派として協力的であったが、クルドが反政府勢力の一翼を担ったことから雲行きが怪しくなった。チェチェンもこの時はスンニー派の勢力として、アサド政府=ロシアに立ち向かっていく。(ウクライナ紛争ではロシアに協力したので手のひら返しに驚いた。)これに当事元気だったISが絡んで三つ巴の戦いになったのである。(上記パワーポイントの画像参照)

ともあれ、反政府勢力が勝利したことには間違いない。反政府軍の反転攻勢に、政府軍にはかなり厭戦気分が強かったようで、戦車や航空機も置いて逃げ出したり、首都防衛の軍はイラクへ逃走したようだ。

様々な関連記事を読むと、アサド政権を支援してきた国や組織がシリアどころではなくなったことが大きいようだ。ロシアは言うまでもなくウクライナ紛争で手一杯だし、すでに軍港は艦艇が一隻もいない。空軍基地も同様であろう。イランもイスラエルとの交戦、さらにイラン傘下のヒズボラやハマスもイスラエルとの戦いでかなり被害を出しているからだ。

ところで、私が危惧することがいくつかある。1つ目は、反政府勢力の中心がHTS(ハヤト・タハリール・アル・ジャーム)であること。アルカイーダ系のヌスラ戦線、ISなどの系列でイスラム復古主義の武装勢力である。欧米からはテロ組織の認定を受けている。ただ、現状はとにかくアサド政権打倒に結集しているようだ。この組織が、シリアを立て直すとしても、これまでの各国のアラブの春を見るに、容易ではないと思われる。そもそも、イスラム諸国では君主制が多い。民主主義国は多数派でない。マレーシアやトルコなどはかなり特殊な例である。大統領制などの政治体制をとっていても内実は、独裁制の国も多い。そもそもが、国家という法人の概念がないし、形式だけの場合が多いのだ。イスラム法と人定法の憲法の優劣の問題もある。HTSが、たとえ国連の選挙監視体制を要請し民主的な選挙をやるとしても、あれだけ多くの難民を出した状況下であるし、結局はスンニー派的な「力」がものをいうような気がする。

さらに難問がクルド人問題である。クルド人は当然、支配地域での自治、さらには独立を主張するのは目に見えている。この問題に敏感なトルコとどう接していくのか。トルコは、この問題に関しては軍事的にも引くことはないだろう。HTSはクルドと手を結ぶのか、トルコと妥協するのか。内戦の終わりが再度の始まりかもしれない。クルドもHTSも、トルコ本土に攻め入ったりしたら、国際法的にもNATOを敵に回すことになるわけで、リスクが大きすぎる。

おそらくアメリカもシリアの今後には深く介入しないのではないかと思う。ロシアが撤退して、親露アサド政権が倒れて万々歳だが、これ以上介入しても何も益はないからだ。ソマリア以来、アメリカはそういう動き(バクス・アメリカーナ時代の、世界の警察ではないという姿勢)をしている。旧宗主国のフランスとイギリスはWWⅠ後のサイクス・ピコ協定で、勝手に国境線を引いた関係上、クルド問題については重大な歴史的責任を負う立場にあると私は思うが、共に自国内の問題で汲々としている。沈黙を守るだろう。スウェーデンやドイツなどは、シリア難民による治安問題が過激化しているので、難民の帰国を促すだろうが、さてさてうまくいくだろうか。EUもなかなか意見がまとまらないし、シリアの今後を仲裁するのは、何処の国・組織の誰なのか、考えると暗澹たる気持ちになる。

仲介はやはりトルコのエルドアンしかないのかなあ。サウジもこのところ元気がないし…。あるいは、関係当事国でもあるトルコを排するのなら、アラブ連盟の出番かもしれない。私はキリスト教国が多い国連より、イスラム諸国の知恵に期待したいと思うのである。

2024年12月7日土曜日

ウィレドゥのアカン語分析哲学

https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2011/25/news010.html
「アフリカ哲学全史」(河野哲也著:ちくま新書)の書評、最終回。前回のエントリーを受けて、ウィレドゥのアカン語分析哲学の内容について。

ガーナ・コートジボワールの言語であるアカン語では、英語のtruth(真理)にあたる語彙は、nokwareであるが、その反対語は「偽」ではなく、「うそ」である。nokwareには、truthと重複する意味を持つが、第一義的には「道徳」で、言葉と心の一致=「二心なきこと」を意味している。このアカン語の真理(真なる認識)は、共同体メンバーの合意ではなく、認識論的な強い基準が働いており、ある人が誠実に語り、それを真実だと信じていることが含まれている。よって、反対語が「うそ」になるわけだ。よって、アカン語には英語のtruthそのものに相当する語彙はないといえる。同様に英語のfact(事実)にあたる語彙もない。

よって、アリストテレス以来の伝統的な真理観(ある命題が真であるというのは、現実の事実と一致している場合である。)が成立しない。アカン語では、「…は真実である。」という表現は、上記の道徳を基準とした認識論がある故に不要なのである。この認識論はポーランドの論理学者・タルスキの真理論に認められる。(余談だが、かの分厚い岩波の哲学事典を引いて確認した。)アカン語では、西洋で通念として普及している言語の表象主義的考え、すなわち言語は現実を鏡のように映し出すものであるという考えを全く持っていないのである。

さて、現代では、有名なトロッコ問題のような(認識と美徳を関連させる)徳倫理学が西洋哲学にも登場した。真理の領域と道徳の領域を切り離すのではなく、社会構造や社会史の視点から批判的に検証する動きである。ウィレドゥがアフリカ哲学の視点として提唱する比較哲学が、あらゆる哲学を高次の視点から捉える有効な方法として提案できる、とこの事実をもって著者は記している。

…西洋哲学の限界を知らしめる話であった。最後のオチはトロッコ問題(画像参照)となった。ところで、これまでのアフリカ哲学の書評の中で、アフリカには先祖を敬い、共に生きているような信仰や文化が強く残っているのだが、そのことについて最後にブディストとしての所感を述べておきたい。仏教では業や輪廻といったインド哲学が土台にある。中でも業(カルマ)は、医学的にも、自分のDNAには先祖の影響が書き記されているという説がある。アフリカと仏教思想には意外な共通性があったりして…と思ったのである。

ウィレドゥの概念的脱植民地化

「アフリカ哲学全史」(河野哲也著:ちくま新書)の書評、いよいよ最終章である。現代アフリカを代表する哲学者、ガーナのクワシ・ウィレドゥの哲学について記しておきたい。

彼の哲学は、「概念的脱植民地化」を目指したものであるといえる。これは、政治的闘争によってではなく、反省的な意識によって植民地における近代化のジレンマと対決すること、であるといえる。アフリカの哲学的思考から植民地時代の過去に由来するあらゆる”不当な”影響を取り除くこと、を意味する。ここでの”不当な”という語彙が意味するところは、植民地時代の全てを拒否するのではなく、たとえ植民地支配者に先導されたものであれ、人類にとって何らかのカタチで有益である場合は、無視したり排除したりする必要はないという、文字通りの「脱」である。

彼の「概念的脱植民地化」は、アフリカ文化に2つのことをもたらそうとした。1つは現代アフリカ思想に染み込んでいる過去の部族文化の好ましくない側面を取り除き、その思想をより発展可能なものにすること。2つ目は、アフリカの哲学的実践に見られる不必要な西洋的認識論的枠組みを排除すること、である。

彼は民衆的な知恵や思想はそのままでは哲学たりえないと考えており、文化人類学的なアプローチには反対する。”過去の部族文化の好ましくない側面を取り除く”とは、そういう意味合いである。

アフリカの植民地での教育は西洋語でなされてきた。これは、枠組み自体から、西洋を無自覚的に優位にさせてしまう。よって、西洋語のなかで当然視されてきた諸概念を批判的に検討する必要がある。(同じことは西洋人側にもいえる。西洋語の枠外の文化を西洋のカテゴリーで吟味できない。)アフリカの哲学者は、アフリカの哲学的諸概念を西洋語で理解していることを意識し、同時に西洋の哲学的概念をアフリカの言語で検討できるということを常に意識しなければならない。ウィレドゥは、哲学は根本的に「比較哲学」でなけれなならないとする。”アフリカの哲学的実践に見られる不必要な西洋的認識論的枠組みを排除する”とは、このことである。

…ウィレドゥ以後、アフリカでも分析哲学的なアプローチが盛んであるようだ。本書では続いて、西アフリカのヨルバ語やアカン語による比較哲学の内容が記されている。これらについては、「アフリカ哲学全史」書評・最終回となる次回のエントリーで。

2024年12月6日金曜日

交野の山から猪と猿?

https://work.kimama-labo.com/20181225/
近隣の方が家庭農園を楽しんでおられて、我が家にも時々お裾分けしていただく。今日は立派な大根をいただいたのだが、その際びっくりするような話を聞いた。サツマイモも持ってきたかったのだが、あらかた猪や猿にやられてしまったとのこと。

愛媛の三崎では、猪に畑を荒らされるということは日常茶飯事で、私も何度か猪を目撃した。彼らはサツマイモが大好きで、前足で掘ってかじりつく。枚方でも猪がいるということを聞いたことがあるが、家庭菜園は、我が家からほんの十数mの距離であるので、意外である。とはいえ、交野の山では鳥獣保護区の看板を見たこともあるので、さもありなん、ではある。

私が最も驚いたのは、猿の話である。猿はサツマイモを掘り出して、他へ運び食するようだ。我が家の隣家のベランダにその食べ散らかした痕跡があったらしい。電信棒で登ってきただろう。隣家の方が電信棒から移りやすいので、たまたまそうなったに過ぎない。我が家のベランダの可能性もあったわけだ。そう考えると、ちょっとヤバい気がする。

大阪に帰ってきて、都会に住んでいるという感覚があったのだが、我が家は鳥獣保護区に隣接した地域でもあったのだ。家庭菜園をしていない第三者としては、それくらいの感覚だが、家庭菜園をやっている方にとっては、大変な被害である。三崎なら町役場に連絡して、駆除の方策を練るところだが、枚方市にそんな部署はあるのだろうか。

2024年12月5日木曜日

共同体ヤハドとキリスト教団

https://www.veltra.com/jp/mideast/israel/a/19078
死海文書が投げかけた最大の争点は、おそらくイエスが生きた時代と同時代の共同体ヤハドとの関係であるといえる。

死海文書と新約聖書の類似点も多く、四福音書の他にも、使徒行伝、ローマ人への書簡、コリント人への書簡など数多い。新約聖書の成立はもう少し後なので、新約聖書の作者ではないにせよ、大きな影響を与えているようである。と、いうことは共同体ヤハドは、初期キリスト教団と何らかの関係があったと見るのが正しそうである。

本書では、様々な学説が併記されているのだが、ここでは著者の仮説を記しておきたい。(死海文書が出土した)クムランを拠点とする共同体ヤハドは、エッセネ派と呼ばれる敬虔で高潔な人々のグループだった。紀元20年頃、彼らは洗礼者ヨハネを指導者として、過激なユダヤ国粋主義に向かった。その重要なメンバーであったイエスが、従来のユダヤ律法中心主義ではなく、もっと普遍的な人間中心主義の教えを説くに至って、組織に内部分裂が起こり、初代キリスト教団の核ができた。そしてローマ反逆の疑いでイエスが磔刑にされた後、イスラエル全土のヤハドは雪崩を打ってキリスト教団に転向した。エッセネ派という語が死海文書にも新約聖書にも一切見当たらないのはそのためであり、イエスに近かった特に知的な層が新約聖書の原資料を書き始め、ユダヤ教関係の(ヤハド独自のものも含む)文書は、全て不要になったものとして、付近の洞窟の中に収められた。これが死海文書の実体で、彼らにとって文字にして後世に残すべきものは、これから書かれる新しい契約の書、すなわち新約聖書のみであると決意した。一方、キリスト教団に参加せずヤハドの信条に固執した人々は、クムランやマサドの要塞でローマ運と戦い玉砕した。後は歴史書の伝える通りである。

…なるほどと私は納得した。気になるのは、洗礼者ヨハネとの関わりである。著者の仮説は、福音書や旧約のイザヤ書と矛盾しない。ペテロやアンドレも最初はヨハネの弟子だとされている(ヨハネによる福音書1ー35)し、ルカの福音書(3ー5・6)ではイザヤ書を引用してヨハネをイエスの先駆者としている。マルコ福音書(6-14~29)にあるヨハネの死(サロメの話で有名)とも矛盾はなさそうだ。

聖書(旧約・新約とも)は実に複雑な書物である。そもそも矛盾があると、立ち止まっていては埒が明かない。とはいえ、この死海文書の著者の謎解きは実に矛盾がなく興味深いと思うのである。

2024年12月4日水曜日

デ・キリコ展に行ってきた

神戸市立博物館で開催されているデ・キリコ展に妻と行ってきた。期末試験の採点(例によってPCでの採点・集計)を終えて、ホント、久しぶりのお出かけである。閉幕が近いからか、ウィークデーなのに意外と人が多かった。

ジョルジョ・デ・キリコは、前述したが高校時代から馴染みのある「形而上絵画」の巨匠である。なぜ「形而上」という名が冠されているのかについては、「実際には見ることができないもの」を描いているからといえる。遠近法の焦点がズレていたり、ほとんど人間が描かれていないか、小さくしか描かれない。彫刻やマヌカン(マネキン人形)などの特異な物が描かれる。影の長さが異常に長い、などの特徴がある。哲学においての形而上学と同様に、現象を超えた世界が描かれているわけだ。

https://x.com/dechirico2024/status/1787286155412549984
今回の展覧会は、なかなか見応えがあった。中でも、私が気に入ってポストカードを購入したのは、オイディプスとスフィンクス。(上記画像/今回の展覧会では撮影可の絵画もあったのだが、これは選外だったので検索して引っ張ってきた。)超有名なギリシア神話をモチーフにした作品でかなり後期のもの。オイディプスがマヌカンとして描かれ、スフィンクスの謎かけの答えを考えているユーモラスさが面白い。

展覧会では、ニーチェの影響を受けたという点が強調されていた。このギリシアへの傾倒は、初期のニーチェの影響であることは間違いない。とはいえ、さらにその後のニーチェの思想の影響を読み取るまでにはいかなかった。ただ、彼自身の人格的な部分では超人たらんとしている感じがする。自画像を無茶苦茶たくさん描いている。それも自信たっぷりに様々なシチュエーションの中で、である。

高校時代、私の油彩画は、背景がキリコ風であった。単なる模倣だがかなり影響を受けた。後のダダイズムやシュールリアリズムに大きな影響を与えたデ・キリコ故、高校時代の私に影響を与えるなど当然といえば当然。(笑)

ちなみに久しぶりにJR東海道本線に乗ったので、貨物列車と何度も遭遇した。全部青い機関車の「桃太郎」(しかもおおさか東線の機関車とちがいキレイに洗車されていた。)であった。

2024年12月3日火曜日

死海文書と共同体ヤハド

https://coconala.com/blogs/3900187/425192
「死海文書の封印を解く」(ベン・ソロモン著/河出夢新書)書評の続きである。死海文書にある「共同体憲章」は、13もの同じ内容の写本が見つかっており、最重要文書とされている。この共同体は「ヤハド」と呼ばれ、パレスチナ全土各地にいたということが最近判明したという。この共同体憲章を読み解くと、初期キリスト教団との類似点が多い。以下に本書に記されているものを挙げたい。類似点・最初が共同体。次が初期キリスト教団、( )は備考

1:真の神殿とは…共同体そのもの 教団そのもの (物理的な場所ではない)2:信徒の財産は…共有 共有 3:信徒の結婚は…一夫一婦 一夫一婦 (独身主義の場合もある)4:1日の始まりは…日の出から 日の出から (ユダヤ教は日没から) 5:安息日は…土曜日 土曜日(キリスト教は後に日曜日になる) 6:使用歴は…太陽暦 太陽暦(ユダヤ教は太陰暦)7:沐浴は…常に実施 常に実施 8:聖餐は…パンと赤ワイン パンパンと赤ワイン 9:犠牲獣奉献は…意味無し・祈りで良い 同じ 10:最高評議会…12人の信徒と3人の祭司 12使徒 11:神との契約は… 新しい契約と呼び、慈悲の契約 同じ

また共通の語彙も多い。弟子たちは、多数の人や多くの人、監督者はエピスコポス(ギリシャ語で監督者)、キリスト教ではエピスコパル(司祭)。メシア(救世主)は、両者とも神の子。善と悪を、光の子たち・闇の子たち、キリスト教では光と闇という表現がパウロ書簡に多い。悪魔はベリアル、キリスト教ではコリント人への書簡に見られる。自分たちを、両者とも道と称する。

この共同体ヤハドは、エッセネ派だとする説が根強いが、学会の結論は出ていない。…つづく

2024年12月2日月曜日

欧州のEV車クライシス

https://www.greencharge.co.jp/useful/deEdgmrD
環境問題については、アメリカがあまり熱心でなかったため、復権を目指して京都議定書以来熱心に取り組んできた欧州だが、ここへ来て大きな挫折を経験している。

EU総体(脱退したイギリスを含む)としてEV車への移行を推進してきたものの、中国・EV車のダンピングに近い輸出攻勢によって、軒並み欧州の自動車業界は大苦戦しており、経済が傾きかけているのが1つ。もう一つは、EV車が環境に良いという虚構があばかれてきたこと、これはスウェーデン・ボルボ社の良心的発表(バッテリーの生産並びに廃棄後の環境への負荷が著しいこと。事実上ガソリン車のほうが環境問題において勝っていることが発表された。)によるものである。

そして、なにより、電力需要とインフラ整備がEV車の増加に追いついていないので、各国とも電気料金の高騰、長時間の充電渋滞に悩まされているようだ。また寒い地方ではバッテリーが早く尽きてしまい長距離移動には向かないこと、これは物流にも影響を与えている。

まあ、ウクライナ紛争の影響もあるだろうが、見通しが甘かった、拙速だった、と言わざるを得まい。結局、トヨタのハイブリッド車のほうが方が、安心で環境的であることが明白になっている。なんとも滑稽な話ではある。

2024年12月1日日曜日

死海文書の旧約聖書写本

今読んでいる「死海文書の封印を解く」(ベン・ソロモン著/河出夢新書)は、前に読んだ「死海文書入門」より聖書学的内容が濃い。クムランから出土した旧約聖書の写本223点で、エステル書を除き24巻全てが揃っているとのこと。これが死海文書全体の3分の1を占める。残りは自分たちを「ヤハド」と呼ぶ共同体のの教義や預言が3分の1、残りはユダヤ教関連の文書や出所不明の文書である。これらは、ヘブライ語(約80%)、アラム語(約20%)で書かれており、ギリシア語もわずかながらある。

興味深いのは、ほぼ中世の旧約聖書写本と変わらないことであるのだが、創世記については外典で、アブラハムがなぜイサクを生贄にしようとしたかという初出の資料が出ている。これによると、ヨブ記同様、神が悪魔から挑まれ、アブラハムの信仰の強さを試すという展開になっているという記述に驚いた。…つづく。