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16世紀後半にオランダとイギリスは、カルヴァン派を保護し商工業が発展する。しかも両国は高い造船技術をもっており、直接アジアと交易を積極的に進め、中東は中飛ばしされ没落していく。ちなみにフランスはユグノー戦争でそれどころではなかった。
オランダとイギリスは17世紀初頭に、株式会社組織の植民公社・東インド会社を設立。有価証券である株券を発行し、年ごとに配当を付け、その売買も自由であり現在の株式会社の起源となった。当時の手形や債権は、今日の株式市場のように乱高下しており、投機的な要素を強く帯びていた。しかし、株式は株券の保有者が、他者に出資するのではなく自らオーナーになるという画期的なものだった。
オランダの東インド会社は、今日の株式会社と同じく年ごとの配当(200年間の平均配当率は18%:当時の長期金利が10%以上の国が多かったので妥当な水準)を出していた。ちなみにオランダは、新大陸を担当する西インド会社(現在のNYは、元々ニュー・アムステルダムでハドソン川を利用した毛皮交易を扱っていた。)もあった。
これに対し、イギリスの東インド会社は、一航海ごとに株式を発行して資金を集め、帰国後得た利益を投資額に比例して分配するというシステムをとった。帰国できなかった時は大損する、という短期型ハイリスク・ハイリターンの投資商品だったといえる。
両者の違いは、もう一つある。オランダの株主は有限責任(出資額以上の責任を追わない)で、イギリスの株主は無限責任(外部に与えた損害があった場合株主が責任を持つ)を負うことになっていた。結局、オランダの方式の方が富裕層の資金集めに勝利し、イギリスに先んじることができたのである。
ところで、1623年モルッカ諸島のアンボイナ島にあるイギリスの商館をオランダが襲い商館員全員を殺害する事件が起こった。香辛料貿易の対立が背景にあったのはいうまでもないのだが、問題はイギリスでは反オランダ感情が高揚しながらも、報復も首謀者の身柄引き渡しの要求もしないまま終わった。実は、イギリスの当時の主要輸出品は毛織物で、その卸・小売をほとんどオランダが担当していた故であった。この事件後イギリスは香辛料貿易から撤退したが、オランダも、ポルトガル時代以来供給過剰の香辛料貿易では利益をあげることができなかった。
…東インド会社といっても、オランダとイギリスではその株式会社システムの違いがあったとは実に興味深い。オランダが先んじた理由は、前出の資金集め競争に勝利したが故である。イギリスの無限責任は、現在もロイズ保険などで健在である。シンジケートのメンバーが、一つひとつの保険に際して、その受け持つ比率によって、ハイリスク・ハイリターン的な保険業を維持しているのは有名である。