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近世のイタリアとくれば、フィレンツェやミラノ、ヴェネツィアの名が上がる。いずれも商工業や交易都市として名を挙げ、ルネサンスにも関わった都市群である。ところが、本書では以外な都市の名が出てきた。ジェノヴァである。地理では、ミラノ・トリノと合わせて北イタリアの三角地帯(この3工業都市でイタリア経済を支えている)を形成していること、余談的に「母を訪ねて三千里」の舞台で有名なことを教えるが、近世の大航海時代において、このジェノヴァの果たした役割は大きいというのは初耳だった。
当時の地中海交易は、エジプト・シリア沿岸・コンスタンチノープルならびにウィーンと陸路で接続していた主に香辛料を扱っていたヴェネツィアと、黒海クリミア半島沿岸とシルクロードに繋がり、主に絹織物を扱っていたジェノヴァに二分されていたが、14世紀のヴェネツィア・ジェノヴァ戦争で、ジェノヴァは敗北、交易路を奪われてしまった。
しかし、ジェノヴァにはそれまでの資本の蓄積(中心はサン・ジョルジョ銀行:画像参照)があり、モロッコの港湾都市セウタに集まる黄金や物資の豊富さからアフリカに目をつける。ポルトガルもまたアフリカへの新航路開拓に大きな関心を持っており、両者の思惑が一致した。ジェノヴァの積極的な投資が、インド航路開拓として実を結んだわけで、まさにジェノヴァの逆襲といえる。インドで3ダカットの50kgの香辛料がヨーロッパでは80ダカットの値がついており莫大な富がさらに蓄積されたのである。
面白いのは、富裕層は新興国のポルトガルに直接投資することには躊躇したが、金融の発達したジェノヴァには安心感があり、ジェノヴァ債は飛ぶように売れた。14世紀後半から15世紀の金利は3~4%で、イタリアの他の諸都市で5%、オランダで10%、フランスが15%くらいだった。この後アメリカ新大陸から銀が大量に流入しインフレとなるが、ジェノヴァ債の金利は低金利を維持できた。それくらい資本の蓄積があったのである。
ジェノヴァは、16世紀以降、スペインにも投資を行い、スペイン国王カルロス1世の積極的な支援に動き、神聖ローマ帝国皇帝選挙に関わり、フッガー家と共に金貨2トンを七選帝侯にばらまいたと言われる。カルロス1世=近世史の主役の一人、カール5世である。
…近世史におけるジェノヴァの重要性を改めて知り驚いた。経済から歴史を見るということの重要性を痛感する次第。イタリアの地誌のところで触れる機会があれば、世界史を選択している生徒にとっては、実に興味深い内容だと思う。