メタフィジック(=超越的なるもの)について、プラトンは外部の世界に置くのに対して、アリストテレスは内在的な形に置く構成になる。(P58)
プラトンのイデア論(上から下へ)についてはわかりやすいが、アリストテレスの質量と形相については、その目的論的世界観から、質量がつねに目的たる形相を目指して動き、下から上へと変化していくわけで、アリストテレスにおいては、「第一質量=神」となる。(P58)
このアリストテレスの考えを、トマス・アクィナスの神学体系が用い、神が静的な概念になった。これを動的な概念に取り戻そうとしたのが宗教改革の大きなテーマであった。(P58)
佐藤優氏は、カール・バルトの弟子のエーベルハルト・ユンゲルが「神の存在は生成においてある。」という重要な言を残していると記している。これは、プロセス神学(世界と人間経験を動的・創造的過程と見る。神はプロセスのうちにあるものとして有限であると同時に、プロセスに対して確定を与える無限なる者と捉える。)においても同様で、一つの鍵となる概念だとしている。一方で、こうした下から上に行くという考え方を再考し、上から下の一元論に映らねばならないとしたのが新プラトン主義であるとのこと。(P58-9)
…この一連の本書の記述は、実に興味深い。特に質量と形相の上下の関係性については、高校倫理では、あまり触れない。目的論は別個に扱うことが多い。これを組み合わせると、第一質料に神がくるということになるわけだ。また、異教徒には理解し難いが、この対比が宗教改革とどう結びつくのだろうか。この辺は実に興味があるところである。


