2025年12月12日金曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録13

佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第13 回目。スコラ哲学の普遍論争について。

普遍論争は、「普遍」という概念について、実念論と唯名論に分かれて論争が起こっている。この両者の対比を佐藤氏は果物で譬えている。果物という概念がある。その果物には、メロン、栗や柿もある。このような考え方が実念論で、プラトンのイデア論的な発想に立つ。一方の唯名論は、栗は木になる。メロンは草、分類からはキュウリの仲間である。ということは栗がある、メロンがある、柿がある、そういった個物しかない。そこに便宜上付けた名称が果物である。すなわち普遍とは名前に過ぎず、個物を分類するための言葉で、実在するのは個物のみである。この普遍論争は、実在とはなにか、概念は現実にどう関わるのかといった根源的な問いであった。(P129)

カトリックの中にはいろいろな流派があるが、今のバチカンは、トマス・アクィナスが正統とされ、神学の基本になっている。トマス・アクィナスは、実在論の立場から唯名論の立場も調停して、普遍は神の知性においては、事物に先立って存在し、世界の中においては、事物の中に存在し、そして人間の知性においては事物の後に存在するとした。(P132)

ところで、トマス・アクィナスは、たいへんな量の本を書いている。その理由は24時間、3~4人の筆記係がそばに常駐し、口述筆記したからである。ちなみに『神学大全』は未完で終わっている。「私には出来ない。これまで書いたものは全てわらくずのように見える。」と言って、思考に疲れたからであるらしい。(P150)

…本書では、この普遍論争、これに、アベラールのアリストテレス的な思想や、オッカムのウィリアムの唯名論についても詳しく触れられているのだが、難解で何度読み返したことかわからない。ブディストの私としては、どう考えても不毛な議論にしか思えないからかももしれない。今日は少し、AIやウィキの助けを借りて記した次第。

2025年12月11日木曜日

メッツからディアス移籍

https://full-count.jp/2025/12/10/post1875683/
MLB関連の移籍に関するニュースは、ホントどこまでが本当かわからない。だが、メッツから凄い守護神・ディアスがドジャーズに来ることは間違いがないようだ。ドジャーズの三連覇を応援する身からは嬉しい補強だが、気になるのはメッツの悲惨なチーム事情。どんだけソトの悪影響が響いているのだろう。土台から崩れているようだ。

2025年12月10日水曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録12

https://turkish.jp/blog/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D/?srsltid=AfmBOoplUo_OJXsPgBQ_2vNP6gvU1kyycHglaQSjZewsJhKCnsUfDFjM
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第12 回目。思想における中世的世界の内容について。

まずは、キリスト教とユダヤ教の終末感の相違について。ドイツの神学者・モルトマンによると、キリスト教では、イエス・キリストの出現によって、すでに終末は始まっているので、救済は先取りされており「希望」(Hoffnung)、ユダヤ教では、救済が先取りされていないので、「待望」(Erwartung)という異なる構成になる。歴史認識としては、キリスト教では、イエスパレスチナに出現した時が人類史のどん底という認識であるが、ユダヤ教にはそのような認識はなく、ボグロムやホロコーストを体験している彼らからすれば、もっと悲惨なことが起こるかもしれない、キリスト教の歴史認識は根拠薄弱だと考えている。(P117-8)

…両宗教の終末観の違いは、実に重要な学びであった。あまりこういう基本的な相違は語られていない。

割礼について、エルサレムの宗教会議でパウロとヤコブ(プロテスタントの伝承ではイエスの弟にあたる)が対立し、その後パウロ派以外のキリスト教は絶滅するので、パウロがキリスト教のベースになった。とりわけ、パウロにウェイトをおくのが、プロテスタンティズムの特徴で、カトリシズムは天国の鍵を持ったペトロが初代教皇になった。(ペトロとパウロの像が、サン・ピエトロ大聖堂にあるのは周知の事実。)それに対して正教会が重視するのが使徒・ヨハネ(画像参照:洗礼者・ヨハネではない。)ロゴスがキリストになるというのは、それによって人が神になる道筋を教えてくださったから、という考えによる。さらに使徒・ヨハネが記したヨハネの黙示録で終末という考えが始まっているとする。(P120)

…以前読んだ佐藤氏の本の中で、正教会がとヨハネ福音書を重視することを学んでいたが、もう少し詳しく書かれた記述だった。ただ、「ロゴスがキリストになるというのは、それによって人が神になる道筋を教えてくださったから、という考え」については、改めて正教会の本を読んでみようと思う。幸い、学院の図書館には正教会関係の書籍も豊富に揃っている。

よって、キリスト教の開祖は誰かと問われた場合、中学から大学までの入試なら、イエス・キリストと答えるのが「◯」だが、神学部の定期試験や大学院入試では大いに「✗」となる。なぜならば、イエス自身は自分をユダヤ教徒と考えていたことは間違いないからで、正解はパウロである。(P121)

…これは実によくわかる。私が初めて学院に登校した日に、J大学神学科卒のW先生もそう言って笑っていたことを思い出す。

やがて、アウグスティヌスのスコラ哲学へと進む。ここで佐藤氏は淡野氏のテキストの原罪思想についての間違いを指摘している。アダムとイブが禁断の実を食べたから原罪を持ったのではなく、食べる前から原罪を持っており、自由意志の濫用(禁断の実を食べたという行為)によって原罪を受けたのではない。そもそもの原罪ゆえに自由意志を濫用したのである、というのが正しいとのこと。(P124)

…この点は私も誤解していた。こういう記述が実にありがたいのである。

2025年12月9日火曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録11

https://ameblo.jp/ks17lovinson/entry-12533873493.ht
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第11 回目。前回に引き続き、面白い記述を短文的に挙げていきたい。

ダンテの『神曲』で、地獄に堕ちる最も悪い「貪欲」は、食糧生産が乏しい時代ゆえ「食欲」である。16世紀、カトリックとプロテスタントは互いに非難し合っていた。ルターがすごく太った人物として描き、プロテスタント側も神父を太った人として描いている。(P92)

…実に子供っぽい話だが、なるほどと思う面がある。(笑)

西洋哲学の原動力は、一元論と二元論のあいだを振り子のように揺れ、螺旋を描いているというのが(テキストの著者)淡野安太郎さん独自の考え方である。その2つの流れの中で弁証法的な発展を遂げるというのが、彼の基本的な西洋哲学の見方であり、独自のものだがそれなりに説得性がある。やはり教育者として優れている。自分の頭で考えているから、こうやってわかりやすく、しかも実態から外れない組み立てができる。(P93 )

…この箇所は、実に教育者にとって示唆に富んでいる。私も浅学ながら自分の頭で考えてやってきた。これまで見てきた多忙な教師の多くは、出版社のつくったモノでお茶を濁しているように思えてならない。

(人間の理性:ヌースに対して)キリストは通常の人間が持つヌースではなく、ロゴスを持っているとアポリナリオスは言った。これに対し、テキスト(浅野氏)では、「アポリナリオスは、世界の一切を機械論的に説明しようとしている故に、最初の運動の起源の説明に行き詰まり、その解決策として突然舞台に天降らせた「機械仕掛けの神」(Deus ex machiina)たるそしりを免れることができなかった。」とある。この「機械仕掛けの神」は、中世の宗教劇によく出てくる。古代ギリシアの劇では、行き詰まって大変なことになるとハッピーエンドにるために、機械仕掛けのキリストがコロコロと天上から出てきて、お告げをする筋になっていた。ハッピーエンドに終わる劇のことをコメディと呼ぶ。それがいつしか喜劇という意味になってしまった。ダンテの『神曲』は、最後に天国に行くのでハッピーエンドの神聖喜劇と呼ばれている。(P98-99)

…「機械仕掛けの神」の存在もコメディの意味も初めて知った。この「機械仕掛けの神」、日本では水戸黄門の「徳川家の家紋の印籠」が最も近いという論もあるようだ。ところで、本日の画像は、中学生時代に見に行った「時計じかけのオレンジ」。ただ単に「機械仕掛け」の韻を踏んだだけのことである。当時、ベートーヴェンにハマっていたので見に行ったのだが、よくわからなかったスタンリー・キューブリック監督の問題作であり名作映画である。

2025年12月8日月曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録10

https://jp.123rf.com/photo_87701361
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第10 回目。4日間の講義・第2日目に突入である。まず第1日目のおさらいから。面白い記述を短文的に挙げていきたい。

キリスト教では、人間の救済が基本的な目的なので学知の構成には関心がなかった。ところが終末が遅延していくことによって、キリスト教がどういうものか、他者に対して説明せざるを得なくなり、ギリシア哲学の形式を借りた。これが神学の誕生。その時に、動的なる神と静的なるロゴスが結婚したのだが、木に竹を接ぐ不調和があった。哲学と結びついた神学は完成しない。しかも神が変容していくにしたがって歴史も変化するので、服の流行が変わるように、哲学も変わる。すなわち、その時代、時代の服である哲学の形で神学を表現しなくてはいけないのである。(P62-3)

…神学というものの特徴を見事に表していると思う。たとえば、バルト神学は、WWⅠの悲惨さや弁証法哲学を受けて構成されているといえる。

(西洋哲学な思考のの根本である)「対象」は東洋的ではない。合掌をする時、右手と左手のどちらが主体でどつらが客体?どちらが押して、どちらが押されているか?この説明ができないから、主客は同一化し、不二の関係にある。この合掌は、シンボリックに対象という考え方を否定するものである。(P63)

…この合掌にシンボリックされた主客同一・不二は、まさに仏教的な思想で、西田哲学に大きく取り上げられた。この譬は、もしまた仏教思想をやる機会があれば使わせてもらおうと思ったのだった。

(変化するものはあるとは言えないとした)パルメニデスは、エレナ学派の創始者であるが、このエレナは静かな土地で、人がほとんど来ないところ。それに対して(万物は流転すると説いた)ヘラクレイトスのいたエフェクスは交通の要所であった。(P65)

…この2人の出身地のエピソード、高校倫理の資料種にも出てこない。実に面白いと思うのだが…。

「ビュリダンのロバ」という中世の重要な命題。全く同じ餌が2つ、ロバの近くにある。前に置くとロバはその同じ餌のどちらを選択してよいかわからないので結局飢え死にする、という話。実際にはロバはどちらかを選択すが、マシな方を選ぶ判断をするわけで、全く同じものは2つ存在しないということになる。(P66)

…この「ビュリダンのロバ」という中世の重要な命題は、理性的判断を揶揄し、自由意志の必要性を重んじるという話であるらしい。

2025年12月7日日曜日

ポスターセッション 留学生参加

https://newt.net/aus/mag-066016825969
先日、学院にオーストラリアのメルボルン(画像参照)の姉妹校から1ヶ月ほど短期留学してくる子が、3年生の生徒宅にホームステイするそうで、私の地理総合の授業に参加することになった。期末考査後から来年にかけては、ポスターセッションをする予定のクラスなので、それはそれで楽しみである。

M高校時代は、こういう留学生が授業に参加してくる事例はよくあったので、私自身は特に問題はない。またまたサバイバルイングリッシュで対応するだけである。(笑)

ポスターセッションの候補国に、オーストラリアを入れているのでちょうど良いかも知れないと思っている。

2025年12月6日土曜日

祝 ロハス選手の再契約&雑感

https://news.ntv.co.jp/category/sports/6936b43fc4424425be00aaf0968f2e4e
最近のYouTubeのMLBの情報は、FAやトレードを巡って、視聴回数を稼ぐための過激な見出しとフェイクが多い感じがする。とはいえ、ロハス選手が来季もドジャーズに残留できるようになったのは事実のようで、実に嬉しい。

MLBはまさに生身の市場原理と言うか、アメリカのプラグマティズム的ビジネス感が凄い。選手はまさに商品。しかし、そこに数字に表せない価値もあるわけで、ロハス選手やキケ選手など、記録より記憶といった選手もいる。ファンはそれをよく知っている。

不確定情報だが、メッツがロハス選手に、ドジャーズの倍の金額を提示していたという話もあり、それにあのソト選手が勧誘を行い、勧誘失敗後のコメントで、ドジャーズ、就中大谷選手ら日本人選手を揶揄して、ロハス選手を激怒させたという話もでている。さらには嫉妬の塊のような品位に欠ける男は、ロハス選手だけでなく、ベッツ選手にも喝を入れられているだけでなく、困惑するメッツから元のヤンキースへの移籍などという話も出ていて、オーナー・編成部長との秘密会議で温厚なジャッジ選手に「トラブルメーカーはいらない。」と激怒させたとか。今季は、メッツとパドレスは実に品格面で、一気に評判を下げたようだ。MLBも人気商売であるので、これはビジネス面でも大きい。

フツーの日本人MLBファンである私などは、千賀投手もあんなメッツなど出ればいいのに、と思うし、イチロー選手や松井選手に対してあまりに冷徹な態度を取ったヤンキースにも日本人選手が行くことは避けたほうが良いと思う。

一方でMLBポスティングを狙う、NBLの村上・岡本両選手についても、怪我や守備面、速球対策とかで、あれほど騒がれていながら、暗雲が立ち込めているようだ。内野手である両選手は、かの松井稼頭央選手でさえ厳しかったことを考えればわかる気がする。

最後に、キケの去就が気になるところ。ドジャーズファンの心情を考えれば再契約濃厚だと信じたいが、テオヘルのトレード話も出てきて、両ヘルナンデスも是非残って欲しいと思うのである。ヌートバー選手の去就も気になっている。ドジャーズにぜひ来て欲しい。