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| https://note.com/artoday/n/nb9b00a432c35 |
ここでのテキストは、マクダラスの「キリスト教神学資料集」が中心となる。2世紀にローマで書かれたユスティノスの『弁明』は、キリスト教を力強く擁護(当時は迫害時代)した書で、福音書と当時影響力を持っていたプラトン主義の形式を関係づけようとした。ヨハネの福音書(1章14節)には「言(ロゴス)は肉となって、私たちの間に宿られた」とある。キリストが、全人類が関与しているところのロゴスであり、そのロゴスに従って生活している人々(たとえばソクラテス)は、たとえ無神論者に数えられていてもキリスト者である。(P60-1)
この全ての人々は救済されなければならないとするユスティノスの信条から出た論理展開は、キリスト教的な集中ができなくなり、汎神論に解消される危険性がある。またキリスト教の核心的な「受肉」「十字架」「復活」が二義的な意味になってしまう。(P62-3)
また、アレクサンドリアのクレメンスは、キリスト教信仰とギリシア哲学の関係を詳細に扱っており、ユダヤ人にモーセの律法を与えたと同様に、ギリシア人には哲学を与え、キリストの到来に備えたと主張している。このキリストが旧約の完成であり成就と見られるのと同様にキリストは、哲学の完成であり成就であるという考え方を「予型論」(タイポロジー)と呼ぶそうだ。
…キリスト教神学とギリシア哲学の親和性からタイポロジー(画像参照:類型に基づいて分類・分析する方法論)まで、ロゴスをめぐる本書の内容は実に興味深い。



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