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それは、Ⅱで記したムスリムは、アッラーの教えに従うことで死後に天国に行かせてもらうことが最重要であること。Ⅲで記したムスリムの血縁・地縁を遥かに超えた隣人観と喜捨(ザカート)の精神である。
著者は、ムスリムの利己心と利他心について、次のように述べている。(趣意)「自分のことを第一に考えたいと思うのは抗しがたい人間の性で、誰もが自己を犠牲にして人助けができるほど人間は強い存在ではない。その点、同じ人助けができるのであれば、自分の欲望を無理に抑えないやり方でやってみればよいと言ってくれるイスラーム式助け合いの考え方は、人間の弱さに寄り添ってくれるもので、誰にでも理解可能なものである。」
…すなわち、天国に行くためには、隣人を助け喜捨することが必要である。利己心と利他心のどちらが主であり従であるか?主は天国に行きたいという利己心なのである。このスタンスは、従である利他心をたとえ義務的ではあっっても不可欠なものにする。実に興味深い人生のスタンスだといえるだろう。
…キリスト教の場合は、ここまではっきりと利己心と利他心を説いていないように思われる。信仰が深化することでこの両者がアウフヘーベンされると思う。聖書の福音というカタチで利他心(=隣人愛)が示されているが、イスラームのように、あからさまに説かれている=指示されているとは思えない。同様に、大乗仏教の場合は、信仰が深化することで菩薩道が解かれ、利己心(煩悩)よりも利他心の方が上位に置かれていると私は感じる。涅槃経にあるように、雪山童子はその身をかえりみず死を覚悟し、後世に悟りの内容である「諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽」(無上偈=いろは歌)を自らの指を切り血でしたためたという説話からもわかる。
…イスラームの分別は、信仰の浅深の問題ではない。このあたりが、実にわかりやすい。
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